最後の彼の呼び名は、『ジェノサイド』。
 もはや存在ですらなく、虐殺と言う行動、現象そのものが彼を表す呼び名だった。
 『味方』には畏怖され、『敵』には恐怖され。
 それでも『味方した人々』には英雄と呼ばれ、戦いつづけた彼の最後は――

「あ……」

 水面に浮き上がる泡のように覚醒する意識。目を開けた視界に映るのは、少々ボ
ロの出た天井と自分の手。
 ネリーはしばしそのままぼっとした後……その手で目を覆い、ため息をついて起
き上がった。
 半ば無意識に横、隣のベッドを見やるが、そこに期待していたモノがあるわけも
ない。
 きちんと整えられたベッドに何故か苛ついて、ネリーはもう一度ため息をついた。

「……酷い、朝」



vol 2.5.2b 接続の再試行/歌姫



 暗澹たる気分にも全く関係なく、肘をついて眺める窓の外には青空と白い雲が広
がっている。

「ふぅ」

 既に何度目かわからないため息。大丈夫ですかと傍らの友人に問われ、ネリーは
自分でも微妙だと思うような作り笑いで大丈夫です、と工夫のない台詞を返した。
 ソードが掻き消えたように姿を消し、ネリーがとりあえず街に戻ったところでザ
ナウ達に出会い、そしてザナウが恐ろしい勢いで走り去ったのが昨日の話。
 この街にいくつも存在する路地裏の一つで大の字になっているザナウを発見し、
友人――もちろん、栞だ――と二人で苦労して連れ帰ったのが昨晩のことだ。
 ここはザナウと栞の部屋。うんうん唸りながらベッドに臥せっているザナウはと
りあえず、単純な打撃のダメージだけだと言うことらしい。

「まったく、勝てるわけないのに……」

 馬鹿ですねーと表面上は冷たくザナウを罵る栞の手が、ベッドに投げ出されてい
るザナウの手をしっかりと握っているのを目の端で確認して、ネリーは微笑ましい
のと同時に自らの『半身』の所業を申し訳なくも思った。
 無意識に人差し指を口元に当てながら、目を半分閉じて意識を半分ほど内面に向
ける。
 ……頭蓋骨を内側からかりかりと引っかかれているような、落ち着かない感触。
 何故か原因がソードだと断言できるそれ――意識を飛び交う波線に五感を掻き乱
され、居心地悪げにネリーは座りなおした。

「……くそっ」
「ザナウさん……目、覚めました?」
「…ん?あぁ、うん。迷惑かけたみたいだな。ごめん」

 少年が目を開けるなり漏らした罵声は、何に対してのものなのだろうか。
 激しくはないものの、確実に怒りがにじみ出ているザナウの声。そんな声でもし
っかりと詫びているのはそれだけ根が善人という事だろう。
 気が引けつつも、ネリーは気になっている疑問――あるいは心配――を言葉に乗
せた。

「ソードさん、どうでした?」
「あー……どう思われようが知ったことか、とか言ってたよ。あの野郎……」

 ザナウから事の顛末を聞き、ネリーは肩が更に重くなったような気がした。
 ぐるぐると退廃的に回転し、踊り続ける思考と感情。
 何故。
 どうしたらいいのか。
 その二つの疑問が際限なく湧き上がっては脳にたまり続け、どんどんと圧力を増
していく。

「うぅぅ」
「ネ、ネリーさん?」
「ネリー?」

 心配そうな声をかけてくる二人の声も耳に入らず、ネリーは頭を抱えた。
 ……必要なのか。守る。殺して守る。そうなったのは理由が、しかし容認できる
ことか?内容は必然、必然は偶然とは違う?同じ?なら何故自分は?そもそも逃げ
たのは自分だったか?心配?意味が、いやある?ない?だったらすぐに――

「〜〜〜〜っ」

 ぎりぎりとこめかみに指がめり込む。もはや誰がここにいようと関係ない。
 そのまましばしネリーは混乱の海でもがきながら浮かび、沈み――唐突に、動き
を止めた。

「……ぉ?」

 いつの間にかネリーから距離をとっていたザナウと栞にすっきりとした笑顔を向
け、ネリーは立ち上がる。

「ちょっと出かけてきます」
「ど、どこに?」
「……ソードさんのところに」
「え」

 微妙に平たい栞の声に答えず、ネリーは窓枠に腰を下ろし――くるりと後ろに回
転した。浮遊感が身体を包み、青い空が高速で視界を過ぎる。
 刹那、二人の悲鳴が遠ざかり、それが遠ざかる分だけ、視界の中で回転しながら
地面が近づいてきて……

 すたんっ。

 軽く膝をたわめて衝撃を吸収し、ネリーは宿の2階から地面に降り立った。
 目を丸くする通行人を無視して歩き出す。
 ……追跡する時は逃げるものの思考を思い描く。逃げる時は追跡するものの思考
を思い描く。結局はどこまで『裏』を読むかだ。
 ソードに教わった、戦闘思考の基本。
 それに当てはめれば、今のソードは自分の裏をかくような事はしないだろう。意
味がない。
 ……ならば。

「……よし」

 ぐっと拳を握り締め、ネリーはほとんど真上から照らす太陽の下を歩き始めた。



「……ソードさん」
「よぅ」

 街から離れた、郊外の森の中。思考と勘をフルに使ってたどり着いたそこに、ソ
ードは煙草を銜えて立っていた。
 そこにいる事が不思議でもなんでもない、とばかりにごくごく自然なソードの態
度。このまま会話していればまた以前と同じくいられるのだろうか、と考え……そ
の予想を、頭を振って否定する。

「ザナウさんとケンカ、したんですね」
「ケンカか……そうだな、あれはケンカだ」

 軽く首を傾げ、可笑しそうにソードは同意した。肩が震え、口元から立ち上る煙
も微かに揺らぐ。

「これから、どうするんですか?」
「さてな。傭兵と言うのも悪くはない」
「……そうやって、殺すんですか?」

 殺す。そういった瞬間にソードの眉間に皺がよった。
 銜えていた煙草を指に挟み、一瞬の後に掌で握りつぶす。

「無闇に殺していると言うわけでもないんだがな?」
「私にはそうは思えません」
「む。そうか」
「だから……」

 ぽり、と緊張感なく頬を掻くソードの前で、ネリーは深呼吸した。
 清浄な空気を大きく吸い込み、肺の隅に淀んでいる古い空気を吐き出す。
 2、3度それを繰り返し、ネリーは再び目を開けた。

「だから『半身』として、放置できません」

 全く関係のない他人なら、こうも気にすることはないのだろう。もちろん相容れ
ない事にはなるだろうが、それでもわざわざそれだけのために街の外まで出かけて
いくまではするまい。
 ……半身、宿縁だからこそ。ソードが行うことが――許せない。

「……で?」

 肩を竦め、片眉を笑いの形に歪めたソードの問いに答えたのは、歌声だった。
 うつむき加減に目を閉じ、力の抜けた自然体でネリーは歌う。
 強く強く、弾むようなリズム。
 明快な戦意を孕みながらもその旋律は強張らず、流麗にして伸びやか。
 ふわり、とネリーの姿が……いや、ネリーの周囲の空気が霞んだ。
 色を削り取り続けた先にある色の一つ、白色。
 その色に染められ――あるいは持っていた色を奪い取られ、風はネリーの周囲を
回りながら徐々に勢いを強めていく。

「枷よ、ひととき地に還り――」

 やがて、ばたばたとなびくネリーの髪を透かして幾筋かの白い『糸』が風に混じ
り始めた。白い風が凝集したそれは見る間に本数を増やし、縦横に飛び交い、絡み
合って模様を、横に並ぶ模様をつなげて円環を形作っていく。
 幾重にも重なる円環の中心で、ネリーは声を更に高めた。

「――鎖を解き放てッ!!」

 ネリーが顔を上げて最後の一節を歌い終え、同時に右腕を真横に打ち振るう。
 瞬間、回転していた白色の円陣――ネリーの『歌』によって織り上げられた幻糸
――が無数の糸へと解け、ネリーの周囲10mほどに拡散した。
 拡散した糸はその場にある無数のオブジェクト……木や岩に絡みつき、浸透する。
 全ての糸が『何か』に潜り込み……一瞬の沈黙の後、ネリーの右手方向に埋まっ
ていた直径1.5mほどの岩がごぼり、と地面から浮き上がった。ばらばらと岩の下
面に張り付いていた土が剥がれ落ちる。
 伸ばした腕が一瞬震え、すい、とソードを指差したと同時。
 宙に吊り上げられていた岩は、猛然とソードへ向かって突進した。

 ごぉっ!

 ソードの身長よりも小さいとはいえ、岩の密度は人体などとは比べるべくもない。
その大質量が直撃すればただの人間であるソードなどなす術もなく、原形をとどめ
ないまでにひき潰されるだろう。
 だがソードは動かない。空気を押しのけ、唸りを上げながら迫ってくる岩を待ち
うけ――

 ばがぁん!!

 爆砕する岩。ばらばらと破片が散らばり、立ち上る塵と煙がネリーの視界からソ
ードの姿を隠した。

「…………」

 やがて薄まり、消えた煙の向こうには――十字架の上側、短いほうの突起を展開
し、伸ばした右腕を上に、曲げた左腕を下にして、挟み込むように構えたソード。
 ごぅん、と右手だけでそれを身体の脇にぶら下げ、ソードは静かに――答えの解
りきった問いを――問いかけた。

「何のつもりだ?」
「知れたこと――」

 言ったネリーが細い腕を真上に、高く高く差し上げる。

 ぼごぉっ!!

 周囲――岩一つなどではなく、先程『糸』が浸透した全ての物体がネリーの動作
に応えて一斉に浮き上がった。
 急激な重圧の変動故か大地が揺れ、大気が震えて幻糸が軋む中で、ネリーの蒼い
視線がソードを突き刺す。

「――倒してでも、ソードさんを止めます!!」

 決然と告げられた言葉にソードが返したのは、あからさまな嘲笑。
 眼前に浮かぶ無数の岩、石、樹木を通し、顎を引いて睨み付けてくるネリーを見
下ろして、くっ、と犬歯を剥き出して笑う。

「面白い冗談だ」

 無言で、ネリーが足を踏み出した。

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