鉱石でできているかのように動きのない鋼色の視線と表情の浮かばない灰色の視線が一
瞬交錯し。

「――そうだ。あなたに依頼したい事がある」

 その言葉は、眼を伏せた無表情から発された。

「仕事は『戦力』として、でいいんだな?」

 簡潔な問い。視線の先にいる女性を見ているのかすら判然としない黒い視線は、一度の
瞬きの後にどこか深い場所に焦点を結んでいた。

「対象の位置数装備その他。そこから調べろとは言わんだろうな」
「無論だ」

 受け答えしながら、ソードはネリーの肩を引いた。ネリーは頷いて一歩脇に退き、手で
女性に部屋の中を指し示す。
 ジェスチャーに目礼を返し、女性が部屋に足を踏み入れる。背後で女将が礼をして、ば
たんとドアを閉めた。


vol 2.7.2 波長の分解/2nd


「……前金で500万。成功すれば更に800万、支払う用意がある」

 オクタヴィア、と名乗る女性から提示された金額に、ソードはふむと息を吐いて椅子の
背もたれに体重を預けた。
 少なくはない、むしろその逆――

「こちらとしても悠長ではいられない理由がある。そちらの能力を鑑みて、受けて頂ける
だろう金額を考えたつもりだが?」
「準備金も含めてこれだけなら、確かに文句はない。が」

 が、と思わせぶりな部分で口をつぐみ、ソードは顎を撫でながら顔を上げる。
 訝しげに見返してくる女性を見、次に両手を行儀良く膝の上に置いて座っているネリー
を見、ふむと一人頷く。
 ソードは一度斜め読みしたきりの資料を指で叩くと、それきり興味を失ったように立ち
上がった。
 部屋の壁に立てかけられていた巨大な十字架を軽々と担ぎ上げると、驚いた顔で見上げ
るネリーと女性を尻目に部屋のドアを開け、去り際に一言だけ。

「ネリー、後は任せた」
「え」

 返事を待たずにドアが閉じて、数秒間。
 ――長いような短いような沈黙から滲み出してきたのは、ネリーのただただ重いため息
だけだった。



 大通りに出たソードは顔を上げ、鼻を鳴らして歩き出した。
 行き交う人々や世界の行く末など知ったことかと言わんばかりに晴れた空の下。
 普通に二本の足で歩いているのにやけに平坦な移動速度でソードが向かうのは、奏甲を
預けた工房。整備にかける金額をケチって時間を消費するつもりだったが、どうやら費用
と時間のバランスを逆に注文しなおす必要がありそうだ。宿縁の絆を伝ってくる感情が微
不満なのは――気にしない。
 提示された条件を検討する限り、断る理由は見当たらない。
 ネリーは頭が悪いわけではない。伊達に教育してきたわけでもない、こちらが動きやす
いよう、それなりに交渉を詰めてくれるだろう。だから自分は、その間に。

「…………」

 順番が逆になるのは、金と時間だけでもないらしい。
 軽く眼に留まった看板を追って首を巡らせながら――『それ』を数える。……1、2、
3。先ほど消えたものを含めれば4か。
 じゃり、と小石が靴と地面の間で転がった。さて、どれを釣る事にしようか。そう思っ
た時、気配の一つが強まった。
 ……ちり、と首の付け根に押し当てられる視線。そう、これだ。やけに急いていて――
工房まで精々無駄な道程を踏ませてやろうと思っていたのに、それ以前に襲い掛かってで
も来そうな――いい気迫だ。尾行の人材としてはどうかと思うが。

「さて、どう出る」

 誰にも聞こえない呟きを漏らし、タイミングを測る。
 間合いを一定させずに遠ざかり近づき、常に複数。そして時間を置いて入れ替わる。
 基本を押さえた方法だが、幾度もの戦闘を経て『現世での限界』以上に能力の増大した
ソードにはそれらの行動がしっかりと『見えて』いた。
 ……とは言っても、見える事とそれに対応できると言う事がいつもイコールとは限らな
い。生憎とソードは注視され続けながらも突然姿をくらます、という技術には覚えが無か
った。

「話に聞く東方のニンジャなら、あるいは出来るのかも知れんが」

 あるいは伝説のカモフラージュツール――段ボールさえあれば。
 残念ながらそのどちらも、異世界たるアーカイアでは望めそうにない……仕方ない、ば
らけるまで引きずり回してみるか。
 とんとんと地面を叩いたつま先から足首、そして脛膝腿腰。いつも通り、意識の通りは
問題ない。
 首を回しながら十字架を背負いなおし、ソードはぐいと身体を前に倒した。




「……!」

 いかんせん動きの無さに飽き飽きしてきた頃。そのタイミングを見計らったかのように
突如加速した巨大な十字架に、リタは小さく声を上げて駆け出した。
 その巨大な荷物に加えてかなりの人ごみの中だと言うのに、白髪頭の機奏英雄は無闇な
速度で駆けて行く。しかし、その背負っている重量からすれば驚異のその速度も、仲間達
の中では抜きん出た脚力を持つ――しかも身軽な――リタならば追って追えない速度では
なかった。
 息を続かせるように走っても余裕があるし、土地勘もこちらが上だ。どうしたところで
引き離せないと言うことを思い知らせてやる。
 右に左に折れ曲がり、段々と人気のない場所へ。その頃になると流石に他の仲間たちは
ついてこれなくなったようだったが、最悪一人でも問題は無いはずだった。
 人の身長ほどある塀が左右に迫り、見通しの利かない路地。走り出してから今までまっ
たく変わらないペースを保っていた白髪男の速度がようやく落ちた。リタは安堵しながら
ひとつだけ大きく息をついて――

「!?」

 一瞬緩んだ後の猛烈な加速。ものの見事に速度フェイントに引っ掛けられ、歯噛みしな
がらリタは身体に全力を命じる。
 恐ろしく速い。これが本来のあの男の脚力だったのか、全力で走っているこちらがじり
じりと距離を離され――

「あ!」

 慣性の法則をあざ笑うかのように唐突にベクトルを変化させた白髪の機奏英雄は、かな
り前方で塀の切れ目に姿を消した。勢いを減じながらも路地を覗き込み、2,3歩入り込
んでため息をつく。
 ほんの数秒の間に、あの目立つ後姿は影も形もなくなっていた。
 周囲は塀と窓のない無機質な建物ばかり、日光も直接は差し込んでこないせいで薄暗い。
 ――人っ子一人なし。まるで最初から誰もいなかったかのように沈黙する景色にリタは
ため息をつき、どう報告しようかと考えながら踵を返して――

「動くな」

 ぶすり、と言うくぐもった音、足元に開く小さな穴、そして上から降ってきた声とがし
ゃりと言う機械音。
 踏み出した足だけでなく全身をぴたりと止め、リタはごく僅かに顔を傾けて目の端で声
の主を捉えた。
 濁ったような白髪、気難しげな顔つき、そして何より背負った巨大な十字架。
 塀の上に片足でしゃがみこみ、飛び掛るには遠すぎ、狙いを外すには近すぎる絶妙の間
合いから銃を向けてきているのは、先ほどまで自分が追っていた機奏英雄に間違いなかっ
た。
 銃の癖にほとんど音がしなかったのは――『そういった目的』の為に作られた銃という
ことか。少なくともその辺りで手に入る代物ではないことは確かだ。
 どう答えるべきだろうか、自分の役割はこの男の監視なわけだが――

「……歌姫同士はケーブルで会話できるって知らないの?」
「無駄な会話はいらん。所属と氏名、目的を吐け」

 こちらの言葉を一切合財無視して突きつけられた要求に、リタは内心で歯噛みした。歌
姫同士が云々というのは確かにブラフなのだが……見抜かれているのか、それともセオリ
ーに従っているだけなのか。
 見つかった時点で大きな失敗だが、どうにかこれ以上の警戒感を抱かせずに場を収めな
ければならない。誰かが気づいて騒ぎ立てればうやむやにもできるだろうか……?
 とにかくどうにかして仲間を呼ばなければ、と片手で『呼び笛』を取り出した瞬間、再
びぶすりと音がして笛だけを弾かれた。

「いい加減にしろ」

 近距離とはいえ小指ほどの大きさの物体を即座に撃ち落とすという芸当をしたとはとて
も思えない、心底面倒くさそうな表情で英雄は告げた。

「死体を増やすのは面倒だが、このまま続けるなら貴様を殺した方が手っ取り早い。例え
ば」

 がしゃり、とまた軽い機械音。静かさを優先して可動部を極力廃した作りになっている
のか、機奏英雄達が持ち込んだ現世技術――まるでこちらの世界が偽りであるかのような、
嫌な呼び名だ――によって急速に進歩、普及した自動式拳銃ではなく、毎回手動で排莢と
装填を行うようになっているようだ。

「仲間を呼ぶ、等といった行動は十分に敵対的だな」

 どうすればこの状況を上手く切り抜けられるだろうか――殺されるのは論外だ、認める
のは癪だが腕ずくでは絶対にかなうまい。となれば後は口で何とかするしかない。できれ
ば上の立場を取れるようなやり方は――事実を口にすること、か。果てしなく気に入らな
いが。

「……わかった。言うよ」

 帰ってきたのは無言。だが後頭部に突き刺さるような視線は少し和らいだ、ような気が
する。

「領主の下で働いてる。名前はリタ」
「目的は」
「監視」

 ……そう、物騒なのだ。色々と。だから監視をしなければならない。

「ふ、む。身分証を見せろ。手は静かに動かせ」

 有利ゆえなのか、元々なのか。無闇に堂々とした声音に更にイライラしながらも、リタ
は懐から小さなメダルを取り出した。領主の紋章を精緻な透かし彫りで示してあり、ぱっ
と見てもそれが簡単な代物ではないことはわかるだろう。

「――いいだろう。領主に伝えておけ、『監視するならもっと堂々とやってくれ』とな」
「そういう事は直接――」

 この上伝言係にまでする気か、と思わず振り向き、リタは二の句が継げなくなった。
 振り向くその瞬間まで声は聞こえていたというのに、視界に写るのは誰もいない路地裏
の景色だけ。足音すら聞こえもしない。
 幻でも見たのではないかと一瞬考え、地面に刻まれた弾痕とへし折られた呼び笛を見て
思いなおす。
 全て事実だ。英雄に脚力で圧倒された事も隠れていることを見抜けなかったことも一方
的に喋らされたことも。――つまり、いいようにやられた。完全に。
 練度の差。相手が一枚も二枚も上手だった。言葉にすればそれだけだが、為す術もなか
った当人の感情はそれだけでは収まらない。

「……くっそ」

 静けさに満ちた路地裏。壁を蹴る音が、鈍いくせにやけに良く響いた。



「――無理だと?何故だ」

 工房の高い天井に、金属同士の摩擦音や打撃音が反響する。工房内の余りのうるささに
外に出たものの、奏甲も入り込めるような巨大な大きさの入り口は当然の如く音も完全に
通過させてしまう。多少はマシになったとはいえ、会話しづらいのは変わらなかった。
 それでも何とかフレームの矯正は無理、という声を聞き取っての問いである。

「ええと……すみません。変なことを聞くようなんですが、あれ本当にビリオーン・ブリ
ッツなんですかね?」
「何?」

 困ったように視線をさまよわせ、問いに重ねて返された問い。その意味がわからず、ソ
ードは思わず気の抜けた声を出した。
 街に入ったついでに工房に頼んだ内容は大きく3つ。
 一つ目は損耗した装甲材・関節の通常整備。
 二つ目は光学装置や機体制御用のケーブル等、細かな部品のバージョンアップ。
 最後の三つ目が数々の戦闘によって蓄積している骨格レベルの疲労・歪みの計測と矯正。
 相当な無茶を重ねてきた機体はそろそろ本格的に分解して整備する必要が出てくるはず
であり、それが出来ないとなると―最悪、独自の形状変化すら始めるほどに馴染んだ機体
を捨てて、乗り換える事も考えなければならない。
 ところで機械油にまみれた手袋をしたままで頬を掻いているという事を、彼女は自覚し
ているのだろうか。

「変というか何というか。ちょっと見たことがない骨格をしてるんですよ」
「待て。以前……別の場所で腕を交換した時はそんな事はなかったが」

 122mm砲と魔弾機構を装備させた時の工房の主任―ルスフォンはそんな事は一言も
言っていなかった。そう長い付き合いではないが、技術マニアとでも評すべきあの性格か
らしても機体にわからない点があれば興味を隠さずに尋ねてくるはずだ。

「あ、ええ、はい。手足はいいんですが、脊椎辺りの骨格が妙でして。こう……よくわか
らない部材が入ってるんです。しかも奏座あたりまで直結している構造で。そんな部材を
そうそう取り替えるわけにも行きませんし」
「ふ……む?」

 こう、と差し出した左腕の周りに右手で螺旋を描いてみせる技師。
 口元に手を当て、唸りながらソードは考える。
 正体不明の構造材。組成も不明なら機能も不明。ただし今まで『あった』状態で来てい
たわけで――それがなくなればどうなるか。最悪の場合を考えれば性能はガタ落ちの可能
性もあるが……正確な予測はできない。正直やってみるしかない。が、やってみるとなる
とそれこそ部品レベルまでの『完全分解』が必要になるという事だ。そこまでした場合に
奏甲そのものに蓄積された経験が残るのかという不安もある。
 しかし、放って置けばそれこそ戦闘中に突然限界を迎える可能性もあるのだ。
 さし当たっては今回の依頼で動けば良いという考えもあることはある、だがそれも不意
の遭遇戦―現世騎士団や野盗に対する事を考えるとそれだけでは足りない。ならばいっそ
暫く別の機体を使い、その間にビリオーンの修復と調査という考えもないではないか。
 胴体を太い鎖に吊り下げられ、取り外された四肢がそれぞれ少し離して同じように吊り
下げられているビリオーンの姿は―今までにないほど無防備に、そして疲れているように
見える。
 ―構成は変わらん筈なのだが。目に見える形が違うだけでこうも不安になるか。
 ぼりぼりと頭を掻き、視線をビリオーンから技師に向けなおしてソードは口を開いた。

「私見でいい、どのくらいもつと思う」

 そもそも最初に受領した時期が早すぎる―『女王』討伐のすぐ後、白銀の歌姫が反旗を
翻す直前―事、更に当時の『黄金の工房』トップが直々に引き渡しに立会いに来た時点で
怪しい機体ではあったのだが、その時は疑問に思う間もなくアーカイア全土を巻き込んだ
混乱が先にたってしまっていた。追求すべきだった等という想像はそれこそ後悔先に立た
ず、でしかない。
 技師は暫く視線を泳がせると、唇に親指の爪側を当てた。……黒いフェイスペイントの
ように線が走る顔の鼻下に、更にべっとりと新たな線が引かれる。

「実際に動いているところを見ないと正確なところは。それを踏まえて聞いてください。
……あの脚のブースターとかあのスパイク―旋回の為のものなんですよね?それにあの砲
も。どうしてもモーメントの大きい構造してますから。本当に限界まで走らせるなら合計
でもあと……うーん……4,5時間戦闘稼動させるのが精一杯じゃないかと思います。そ
れ以上は下半身はともかく、肩と腰がもたないかと」

 大型奏甲にしか扱えない122mm砲を専用のアームで保持する事で取り回せるように
しているといっても、そのアームの根元は腰の骨格だ。同じように大型ガトリングガンと
その弾倉は肩で支えている。しかもその重量を担いだ機体を高出力のブースターで無理矢
理に高加速度機動させているのだから、骨格にかかる負担はノーマルな機体の比ではない。

「……このままで頼む。こいつには最後まで付き合ってもらうさ」

 様々な感情を含んだはずの声は、ソード自身も驚くほど平坦だった。口調とは別に言葉
の内容を反芻し、キャラが違うなと自嘲気味の苦笑を浮かべる。奏甲はただの道具にあら
ず、というアーカイアの思想にいよいよもって毒されてきたらしい。

『ソードさん』
『ん?』

 ――お前は不本意かも知れんが、乗り手運が悪かったとあきらめろ。このまま地獄まで
付き合ってもらうさ。
 答えるはずのない愛機にふざけた呼びかけをしながら、ソードはケーブルを震わせるネ
リーの声に返事を返した。

『大体はまとまりました、文章にもしてもらえるよう頼んでます。準備期間はすべて合わ
せて3日、その間の監視は依頼人のほうで。現地で情報の引継ぎでいいですよね?』

 相変わらず不満げな声。日程を相談なしに決めたりと不機嫌さをかもし出しつつ、それ
でもきっちりと交渉を終わらせるあたりが本当に真面目である。
 だからからかうと面白い……と言うとすねる辺りがまた更に面白いのだが。

『構わん。少し整備に金をかける、予定より早く終わりそうだ』
『わかりました。じゃあ私は買い物に行ってきます……あ。ついでに図書館にも行きます
けど、何かこんな歌術があったらいいなって希望、ありますか?』

 最初から何故か貴族的な場や雰囲気には慣れていた所があったが、いい加減トラベラー
として交渉にも慣れてきたネリーは位の高い―あの女性が着けていた声帯の色は白緑だっ
た―相手にもきっちりと要求を出し、結果を引き出すこともできるようになっていた。
 もともと頭は良いのだろう、このままいけば確かに単なる『歌姫』ではなくそれも含め
た『相棒』と呼べる存在になるかも知れない。知れないが……

「良いのか悪いのかは、また別問題、だ、な」

 まだやる事は多い。日没までには戻れないとネリーに伝えながら、ソードはいつも通り
火をつけずに煙草を咥えた。

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