コンクリートと鉄骨で作られた無骨な建造物。その一室で。

「…なんだと?」

 ごづん、という重い音と共に、鉄骨に拳が叩きつけられ
た。
 叩きつけたのは黒髪黒瞳の青年―ソード。左腕を吊り、
身体のあちこちを包帯にくるまれながらも、立っている姿
には揺らぎは見られない。
 自然に逆立つ程度にまとめられた髪からぱらぱら、とか
さぶたの欠片が落ちる。

「――…」

 答えたのは男。悄然とうなだれ、再び口を開き―

「――」
ぎしぃっ…

 続けられようとした言葉は、低い摩擦音と物音に遮られ
た。
 ばたばたともがく脚に椅子が蹴倒され、派手な音を立て
て倒れる。
 めきり、と何かが軋んだ。

「ふざけるなよ…終わっただと?」

 ソードが掲げた右腕の先に、男がぶら下がっていた。
 絞り上げられた襟で首が締まり、外そうともがく男の動
きがだんだんと緩慢になっていく。
 …くたり、と。
 力なくその体が垂れ下がったのに舌打ちして、ソードは
右腕を振った。
 だらりとした身体が瞬間、宙を舞い。
 どさり。
 床にはいつくばって咳き込む男を一瞥し、ソードは踵を
返す。
 …意味が、無い。
 廊下を歩きながら、奥歯を食いしばる。
 あの男を締め上げたところで、確定してしまった事実は
変わらない。意味など無いのだ。
 …だが…
 一つの疑問。それが心に浮かんだ瞬間、ボンベの栓を抜
いたかのように激情が吹き飛んだ。
 それに突き動かされていた足も自然と止まる。
 意識がなぞるのは一つの線。灰色の、終わりの見えない
只一筋の線。
 あまりに単純なその疑問は単純であるが故に、どんな言
葉も答えにはなり得ない。

「――ならば何に、意味がある……?」

 ぽつり、と。
 窓枠に絞られて束になった陽光の中、首に下げた緑の宝
石を握り締めながら、ソードは呟いた。



vol 2.2.1 接続した風景、接続した心(1)



「…あれ」

 ずん…どすん…
 ネリーが目を覚ましたとき、ビリオーンのコクピットは
緩やかに揺れていた。
 先ほどの不可解な夢を反芻しながら顔に落ちた髪をか
きあげ、ふと自分の乗っている物体の微妙な感触に気付く。
 硬くは無い。さりとてふにゃふにゃというわけでもない、
強力な弾力を持ったしなやかな物体。

「あ」
「おう、起きたか」

 理解すると同時に、頭の上から声が降ってきた。
 押し付けた背中からも響く、ネリーが良く知る声は無論
パートナーであるソードのものだ。
 山の空気が予想以上に冷たかったために、二人してビリ
オーンのコクピットで毛布に包まったのだが…どうやら
ソードが先に起き出して既に移動を始めていたらしい。
 …意識を外に向ける。
 青と緑、そして白。色数の少なさを補って余りある深み
を持った景色が、視界一杯に広がった。
 連なる針葉樹に風がまいてひょう、と鳴る。
 鋸の刃を思わせる峻厳そのものの山々をほんの少しだ
け削り取って作られた道は、奏甲が通るにはだいぶ狭い。
 澄み渡った空気は…コクピットの中で毛布に包まって
いると分からないが、だいぶ冷えていることは体験済みだ。
 コクピットに逃げ込まざるを得なかった昨晩の夜の冷
え込みを思い出し、ネリーはぶるりと身震いした。
 
「寒いか?」
「あ、いえ…昨日のことを、ちょっと」
「なるほどな」

 ソードが苦笑する。昨晩のちょっとした騒ぎ…と言うほ
どのものでもないか。
 ネリーが寒さに耐え兼ねて、ソードが眠っているビリ
オーンのコクピットに潜り込んできたときのことを思い
出したのだろう。
 その時の自分の様子を思い出し、ネリーは居心地悪く身
じろぎした。

「えっと…すみません」
「何が?」

 笑みを含んだ声。
 …しまった。そういえばこういう人だった。
 この機奏英雄――本人はそう呼ばれることを嫌い、『絶
対奏甲乗り』と言っているが――わかってやっている。
 人をからかい、その反応を見ることを楽しみとする青年。
 …性格が悪いと言う意見に反対する人はいないだろう。

「だから、その」
「んー?」
「その…昨日の、事です」

 にやあ、と半月笑い。
 ネリーは頭の上にあるソードの顔がその笑顔を浮かべ
たことを確信した。
 
「そう言えば珍しくネリーが来たなぁ?何故だった?」
「うぅ…」

 ぽむぽむと頭を軽く掌で叩かれる。

「ま、良いか」
「え?」

 更なる追求があるものと身を固くしていたネリーは驚
いて顔を上げた。ネリーの知る限り、ソードが遊べる対象
を放っておくなど普通はありえない。
 表情を伺おうにもソードの顔はネリーの頭の真上にあ
る。見えるようにするにはソードから離れなければならな
いが、場所が悪い。奏甲のコクピットは英雄一人が入るに
も手狭なのだ、操縦の邪魔をせずにそんな事ができるス
ペースは無い。

「……」
「ん?」

 それでも、ソードは伺っている雰囲気を意外と敏感に察
知したらしい。不思議そうな、本当に不思議そうな声で問
いかける。

「何だ、もしかして今、俺がお前をからかうと思ったか」
「え…と…」

 いくら遠慮も無くなってきた関係とはいえ、ネリーと言
う少女の本質的に相手を悪く言うようなことは躊躇われ
る。例えそれが真実であってもだ。

 その様子を上から見下ろし――ソードは今度こそ半月
の笑いを浮かべた。

「…なるほど、その程度の事でも俺がお前をからかうと
思っていたわけだ?」
「え、あ!?」

 その声、その言葉。
 ソードが現在の状況こそを期待し、そうなるように仕向
け…そして今、完全に楽しんでいる事を理解してネリーは
愕然とした。
 冷静に考えてみれば寒さに耐えかねて暖かいところに
移動するなど、ソードにとってからかうような事ではない
筈だ。
 二人の体が密着すると言うのはネリーにとっては多少
問題かもしれないが、日頃ネリーを散々子供扱いしている
―実際感覚としては異性というより家族、兄妹に近い―
ソードにとってはやはり大した事ではないだろう。

「いやいやいや、まさかそこまで悪し様に思われていたと
はな…」
「いえ、その…」

 いつもいつもからかわれているのだから胸を張って「そ
うです、ソードさんは意地悪な人だと思ってます」とでも
言ってしまえば良いのだろうに、ネリーは言うことが出来
ない。
 …育ちは選べないし、英雄も選べない。だからといって
親を恨むような事もしない。損な性格である。
 しかし言いたい。だが言えない。
 だから、ネリーは。

「……ひどいです」

 俯いて、拗ねて、やっとそう言うのだ。

「くっくっく…」

 当然、ソードはネリーの拗ねなど意に介さずに笑う。
 痙攣する笑い声を歯の間でかみ殺すような笑いは見て
いて非常に不快だが…恐らくそういう笑いを選んでいる
のだ。本当に『笑う』ときは全く違った笑い方を…してい
た、筈だ。見間違いや幻覚や気の迷いでなければ。

「それはそれとして、ほれ」
「――あ」

 ソードの声に、視線を道の脇、崖の遥か下方へと移す。
その先には森。明るい太陽を受け、緑に輝く森。

「あそこに?」
「確率は低いが、な。まあほら、『溺れるものは藁をも掴
む』って奴だ」
「なんですか、それ」
「現世の諺…だぁ!!」
「っ―」

 言うなりビリオーンが膝を曲げた。力を溜め、全力で伸
ばし、そして地面を蹴り放つ。
 跳ぶ。滞空。
 滞空。道を外れる。足元には森。遥か下方の森。
 初速が重力加速に相殺されきり、上昇速度はゼロに。
 …そして。

「――っきゃあああぁぁぁぁ!?」
「はーーっはっはっはっはっは!!」

 そんな緊張感の無い悲鳴と笑い声を引きずって、ビリ
オーンは森に落下していった。


 初の続き物。最初と言うことで中身が無いのは勘弁して
ください…

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