「ち、近づかないで下さいっ!」 「!?」 差し伸べた手を振り払われ、ソードは理解した。 今のネリーが、自分に恐怖以外の感情を持っていないことを。 「…………」 …そうだったな。 振り払われた手を引き戻し、じっと見る。 自分でも理由のわからない落胆と共に、ソードは溜息をついた。 vol 2.5.2a 接続の再試行/英雄 「……珍しいものだ」 「?」 正常なリズムで生活している人間なら一日の半分程度を過ぎ、少し前に取った食 物の消化の為、胃に血液が集中している頃。 街を少しだけ離れた丘で、人影が軽いステップを踏んでいる。 影の一方…リューク・シュヴァルツバルトは言いながら、手に持った木剣を突き 出した。 一直線に相手の胸に向かって走った先端は、短い木剣に下から弾かれ、姿勢を低 くした相手の頭上を通過していく。 わずかな間を置き、お返しにと振るわれたもう一方の木剣―相手は二つの木剣を 同時に操っている―を間合いを取ることで回避し、互いに木剣の攻防から意識が外 れた。 無言のまま、表情だけで疑問を示した相手…ソードに、リュークは言葉を継いだ。 「卿がこのような事を自分から、しかも余のような者と…」 すい、とソードが淀みのない脚運びで間合いを詰めてきたのに合わせて木剣の切 っ先を持ち上げる。 なんの気負いもなく袈裟切りに振り下ろされた木剣を打ち落とすべく、リューク はわずかにタイミングを遅らせて木剣を振った。 正面からぶつかった瞬間きゅるりと滑って木剣をすり抜けてきた切っ先を、身を 逸らしてかわす。 「…やりたがるとは思えなかったのでな」 「それについては同意できる」 まるで他人事のようにソードは笑い、両手の木剣をくるりと逆手に持ち替えた。 「まあ、単なる」 ゆら、と棒立ちになっていたソードの上体が前傾した、次の瞬間。 「気分転換だ」 それまで2、3歩使って縮めていた間合いをただ1歩で詰めた。 ひゅん、と風を切る音と共にソードが両腕を同時に振るいだす。 分裂したかのような速さで襲う剣閃を、リュークの的確極まるただ一薙ぎが迎撃 し。 かかかかかん、と啄木鳥の如き音が響いた。 「…多分、な」 「ぬお…多分、だとっ?」 いきなり加速した剣戟に戸惑いつつも、持ち前の反射神経でリュークは攻撃を全 てさばききって見せた。 少しだけ息を切らしながら構えなおした目の前で、ソードはいかにもな隙を見せ てぷらぷらと右手を振る。 あくまで慎重なリュークがその隙にも仕掛けない事を確認して、ソードはにやり と笑い。 「さて…まだ体力は続くだろう、騎士殿?」 数十度目の衝突音が響き。 ひゅかん、と残響を引き摺ってリュークは間合いを取りなおした。 息も乱さず突っ立っているソードを一度睨みつけてから、おもむろに木剣を下げ る。 「どうした?」 「……余の体力は知っているだろうに」 答えを待たずに草の上に座り込んだリュークに、ソードも苦笑して全身を弛緩さ せた。 「たまには無理も良いものだぞ?後に残らない範囲ならな」 「遠慮しておこう」 自分の体力は苦々しく思うが、そうにもならないのだから他の方法で何とかする しかない。 事実、彼は体力の無さを補って余りある技能を持っていた。 「さて…余はそろそろ戻ることにする」 一つ大きく息を吐いて立ちあがったリュークに、ソードは軽く目を見開いた。 「忙しいな。もう良いのか?」 「鬱憤晴らしにつき合わせるなら、もっと頑丈な者にしておけ」 「考慮しておこう」 余裕の表情を崩さないソードを背にしながらリュークは立ちあがり…ふと子供じ みた対抗心と大人としての気遣いに囁かれて振り向いた。 「一つ忠告しておこう」 「む?」 「自らが原因ならば自らで決着をつけるのが正道ではないか?」 「――」 余裕の表情が停止した事にかすかな満足感を得て、戻るべき方向へ振り返りなが らもう一言。 「卿の剣術…左右の連携に切れが無かったように思えたのでな。気になった」 「……む」 不機嫌になったのか考え込んだのか…微妙な唸り声を聞きながら、リュークは今 度こそ歩き出した。 「…やれやれ」 ここ暫くの塒にしている路地裏の一角で、ソードは溜息をついた。 『自分が原因』。 その言葉が頭にこびりついて離れない。 たかが一人の人物がまた自分の本性を知り、また恐怖と共にその人物に拒絶され た。 それだけ。 それだけのはず、なのだが。 「なんたる虚弱、脆弱」 自分でも知らない内に随分と鈍化してしまったらしい。 …まあ、それは追々取り戻すとして。 「…どうしたものか」 ごろりと仰向けに転がる。 この世界で何をすべきなのか、そもそも何をもって行動を判断すべきなのか。 そうした基本的な疑問がいまさらながらに湧いてきて、ソードは自分の暢気さに 苦笑した。 ふぅ、と溜息をついて目を閉じる。 …溜息をつくと幸運が逃げると言った奴がいたな。あれは確か… 暗闇の中、ソードの意識は無限に落ちていった。 最初に彼は、道具だった。 心を知る前に殺人の術を学ばされ、考えることをせず、感情を持たず、自我を持 たずにシステムの一部として『動いて』いた。 そのシステムが戦いの中で崩壊し、存在の基幹を失った彼は、ある人間に出会う。 そして人間としての自我を文字通り力づくで叩きこまれた。 人間として生き、理想を知り、そしてそれを実現する為に己の力を振るおうと決 断した。 そして、彼は戦いに身を投じた。如何な傷を受けようとも自らの手で殺すことな く戦いぬき、紛争の終結に貢献して『若き英雄』と賞賛され、しかし結果的に救え なかった数…殺さなかった為に生まれた犠牲を省みて、その多さに絶望した。 目の前で撃ちぬかれた少年。 見逃した兵士が殺した村人たち。 その一つ一つを心に刻み。 「タスケテ」 「死にたくない」 『見殺しに、した』 そして彼は、より多数を救う為に少数を殺すことを選択する。 虐殺を止める為に殺人を行い、対峙した『敵』を確実に、迅速に仕留めるその姿 はいつしか『死神』と呼ばれるようになった。 ある日、彼の前に『復讐』を謳う一団が現れた。 今まで彼が殺してきたもの達への罪悪感、贖罪になるならと、彼はその銃弾を身 に受けた。 灼熱する傷、反対に冷えていく全身。だがこれで罪を重ねる日々も終わりかと、 安堵もした。 …しかし、それだけでは終わらなかった。 その一団は彼の目の前で、彼が守ると誓った存在を蹂躙し、弄び、そして殺した。 彼は慟哭し、意識を失い――血に染まった手を見つめながら、既に自らの死は護 ろうとしたものを護れない、逃避にしかならない事を知った。 自らに浴びせられる怨嗟の声。 復讐しにやってきた相手の顔。 それらを心に刻もうとして、以前刻んだはずの『犠牲者』達の顔が霞んでいるこ とに気付いた。 自分が殺した人々を、忘れる? 「…悪魔め」 「貴様さえいなければ、父は――」 『殺させない為に、殺した』 矛盾。矛盾。矛盾。 助けようとすれば殺さなければならない。 誰かを不幸から守ろうとすれば他の誰かに不幸を押し付けるしかない。 そんな人の世に正義など無いことにはとっくに気付いていた。 正義など無いから、歩き出した道がどこに続いていようが関係無かった。 己の勝手な基準で理不尽な死を振り撒く。それが全て。 …それが解っていても。だからこそ。 振り返り、省み、心を磨耗させながら戦い、殺しつづけた。 最後の彼の呼び名は、『ジェノサイド』。 もはや存在ですらなく、虐殺と言う行動、現象そのものが彼を表す呼び名だった。 『味方』には畏怖され、『敵』には恐怖され。 それでも『味方した人々』には英雄と呼ばれ、戦いつづけた彼の最後は―― 「…――」 感覚に触れた感触。 目を開く。 網膜に映ったのは…黒い物体。 「っ!!」 それが靴の足裏であると言う認識より先に、身体が脊髄反射で跳ね起きた。 一瞬前までソードの頭があったところを紛れも無い全力で踏みぬいた足の持ち主 を、目を細めて見やり… 「ザナウ?」 …訳がわからん。 本当になんの脈絡も無く現れ、さらに脈絡無く攻撃をしかけてくる相手としては 完全に想定外だ。 良く似た別人と言う可能性まで頭の中に羅列しつつ、慎重に間合いを取る。 「…けるなよ」 「?」 「避けるな!殴らせろ!完膚なきまでにボコボコに!!」 「はぁ?」 もはや理解不能とか言うレベルを通り越した言い草に首を傾げる。その仕種すら 気に障ったのか、ザナウの怒気が膨れ上がった。 「なんで!拭い様の無い傷をつけたんだ!?」 「……!ネリーか!?」 ザナウは答えず、駆け出して大きく腕を振りかぶった。 ソードは舌打ちしつつ間合いを計る。 怒りに任せた攻撃は予備動作が大きい。ザナウの腕の長さ、踏みこみの距離など を瞬時に判断して、ソードは軽く上体をスウェーさせ―― 「な!?」 がつん。 側頭部に走る衝撃。 ぐらぐら揺れる視界の中で地面を蹴り、体を捻りながら飛び上がるザナウが見え。 がつっ! 靴の硬い踵を受けとめた前腕に痺れが走り。 ごっ! 「っ…」 着地せずに放たれた回し蹴りで痺れた腕が弾かれる。 更にザナウは身体を回転させた。 まずい、と思いつつも弾かれた腕を引きもどすには時間が無い。 結果。 ぼぐっ!! 「がっ!」 首の筋肉を固める程度しか出来ずに、ソードは顔面を蹴り飛ばされた。 よろめいた背が壁に当たり、鼻から血が流れ出す。 頭を一度振り、ソードは壁に手をついて身体を起こした。 意識が一瞬飛んだお陰か、混乱していた思考が纏まる。 …ザナウの怒りの理由にも、想像がつく。 「……俺にとっては、最善の行動だったんだがな」 呟きに答えるのは、もちろん怒声。 「あんたにとって最善でも、俺に取っちゃ最悪なんだよ!!」 ああ、そうだろうよ。だが… 「なら…お前なら、全て理想的に事を運べたとでも言うのか?」 「出来るか出来ないかじゃない!!やるんだ!!」 …かちん、と来た。 その言葉が生んだ情景が脳裏を一瞬で過ぎ去り、そして怒りの芯が燻り出す。 解っているのか?その言動が意味する末路を。 解っているのか?その言動が果てしなく無責任である事を。 「あんたはそうなるように努力したか!?してないだろ!?」 飛んできた拳を掌で受け流す。 思考が分離し始める。 努力している間に何がある? その努力をしている間、相手が何もせずに待っているとでも思うのか? 最初に背中が熱を帯び。 肺にたまった空気が…息が熱を帯び。 徐々に血液が、それにつれて身体全体が熱を帯びる。 「彼女達にも未来があった!アンタはそれを壊したんだ!!」 「……当然だろうが!!それが戦いだ!!」 反撃はあっさり防がれた。それにとどまらず防御を潜り抜けて腹に一発もらう。 本当の戦いという物を知らない少年の戯言。 普段なら鼻で笑って流せるその言葉が、その表情が、理想が。 …すべてが酷く、気に障った。 「それとも奴等を放っておいてネリーを見捨てろとでも言うのか!貴様は!?」 一方でザナウの動きをソードは既に思い出していた。 …模擬戦で見せた動きと同じ、極端な認識の加速。 肉体そのものが速くなるわけでも、ザナウと言う存在の基本構成が変わるわけで もない。 …つまり、勝機はすぐに訪れる。 「だったら壊すのか!?殺すのか!?ふざけんなぁ!!」 反応だけで防御されるのも、攻撃を完全にブロック出来ないのも仕方ない。 急所だけは徹底的に防御。 既にクリーンヒットは無くなっている。それでもザナウは止まらない。 「守るべきものを守るために俺は殺す、壊す!どう思われようが知ったことか!!」 石畳を擦りながら摺り足で円を描く。ザナウの腕が動く範囲より外を保ち、空振 りを誘発させていく。 避ける。避ける。避ける。 「!!……そうかよ!だったら!!俺は俺の意志を貫くっ!!」 「やってみせろ…出来るというのならな!!」 やってみせろ。 その言葉を聞いた瞬間、ザナウの感情は頂点に達した。 倣岸。不遜。そんなレベルすら越えて、今ザナウが対峙している青年は存在して いた。 自らの過ちを認めず。 自らの道を疑わず。 怒りに感じたそのことがきっちりと自分にも当てはまる事など、ザナウは考えて はいなかった。 「だぁりゃああぁ!!」 既に見えるのは、半身になっていた身体を正対させてガードも下ろしたソードのみ。 既に考えられるのはソードに決定的な一撃を叩きこむことのみ。 ザナウは大きく腕を振りかぶり、ソードの鼻っ柱に向けて拳を伸ばし… 「!?」 きゅん、とソードが伸ばした腕を巻き込んで回転した。 引き戻そうとした腕が反応する前にソードの背中がザナウの腹に密着し。 「――」 ぱしん、とザナウの足が払われ、地面から離れた。 支えが無ければ、いかにザナウと言えども踏ん張ることなど出来はしない。 加速した中でさえ相当な速さで視界が回転し、せめて受身を、とザナウは身体を 動かそうとし… どずん! 「がっ…」 背中から全体重を加速して叩きつけられて息を詰まらせ。 どむっ!! 「…ぐ」 一瞬遅れて降ってきた肘に横隔膜を抉られた。 「……言ったはずだがな。お前の弱点は」 びくり、と身体を跳ねさせたザナウに―もはや聞こえてはいないだろうが―言い ながらソードは身を起こした。 「攻撃が単調なことと」 いかに意識が加速していようとも、肉体の反射的な行動やそれ以外の癖などが解 消できるわけではない。 加速した状態でのパターンさえ読みきってしまえば、激高して狙いが短絡したザ ナウの攻撃を捌く事は難しくなかった。 「後先考えないこと…」 同じく、意識が加速していても肉体の持久力や耐久力はついていかない。空振り を続ければ自然スタミナは消費され、動作も遅くなり足も止まる。 誘いの台詞に乗って大振りな攻撃を繰り出したのも未熟な部分だ。 「…まあ、躊躇が無かったのは進歩だな」 …単に躊躇するような精神状態に無かっただけかもしれないが。 パニッシャーを拾い、ザナウをその場において歩き出す。 「なかなか便利な能力だが、その程度で技量の差は埋まらん」 「く…そ」 「……ほう?」 倒れたザナウの口から漏れでた声に、ソードは意外な心持ちで振り返った。 …全力でやれば内蔵破裂必至の一撃を食らって気絶しないとは。 あるいは、信念の強さゆえなのか。 信念。青臭く未熟で世間知らずな子供の論理だが、それだけに美しい。 昔の自分と比べて、ふと笑みが漏れた。 …強くなれ、未熟者。お前の理想は間違ってはいない。 「理想は、だがな」 ザナウは自分とは違う。 少なくとも…自分に残ったこの理想とは違う道を歩むはずだ。 自分という英雄の末路など、たかが知れている。 『正義』の行き止まり。あるいは高い壁。そこに行き詰まった、脱落者。 …救われない。そもそもそんなことを望むわけにはいかない。 生き残った…殺されなかった人々にとっての英雄。『味方した正義』の為の、正 義の味方であり、『味方しなかった正義』に対しての悪魔。 多くの命を踏みつけ、自らの味方の『正義』の為だけに殺しつづける。 そんな自分は、最後に新たな指導者の…青臭い理想家の為に、死に臨んだ。 …なんの因果か、こんな世界で生き延びる羽目にはなったが。 それでも、『現世』の人々は安堵して言うだろう。 英雄の死を悼もうが、悪魔の死を喜ぼうが、結局は。 …血に塗れた死神は、最後に救世主の為に戦って死にました。 「……それが、俺の役目なんだよ」 気を失った少年…未だその道を歩きつづける少年へ、呟いた声は闇に溶け。 ソードは踵を返して歩き去った。 …どうやって収拾しよう、この話。 いっそネリーとソードの戦闘と言うのも…ありか? 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