――いつか、どこかで。眠りは覚める。

 ある冬の日。

 暗い色をした雲の中。高空で塵を芯にして纏まった水分は、くっつき合って雪と
なる。
 いつもは融けて雨粒になるそれは、季節柄の冷気に包まれてそのままの形で地上
近く、人の領域へ舞い降りた。
 下から見上げれば天を突くような、上から見下ろせばちっぽけな、林立する黒い
コンクリートの間を吹きあがる風にゆらゆらと揺れながら、雪は地上を目指す。
 彫刻の施されたビルの先端を掠め。
 事務員が難しい顔をしてペンを走らせる窓の外を流れ。
 何年も開かれていない鎧戸の表面を滑り。
 雪の粒は降りていく。
 都会の影、外へ外へ向かって発展する街の中にぽっかりと開いた、知らないもの
は一生見向きもせず、知っているものもすぐに忘れ去るような場所。
 そんな場所にも雪は降り、後から後から積み重なった粒は汚れたコンクリートを
覆い隠して真っ白い仮初の絨毯を作り出す。
 常なら誰も通らず、足跡が刻まれることもないであろうそこに、一つの足跡が続
いていた。
 時に右に、左に頼りなげにふらつき、引き摺ったような痕跡の見られるその足跡
の先。
 ――少女が、歩いている。
 年のころなら、10を少し過ぎた程度だろう。
 胸元に握り締めた手を引き寄せ、ふらふらと。
 まばらな街灯以外に明りのないこんな場所でも、コートの背で波打つ少女の髪は
金色に光って見える。
 時折身体を走る苦痛に眉を顰めながら、蒼色の瞳は気丈に前を見据えつづけてい
た。
 常なら美しく見えるであろう透明感のある白い肌は血の気を失い、凍えてしまっ
ている今では、その白さは病的な印象が先に立つ。
 まるで冬に迷い込んだ春の精霊の如き少女は、ひたすら歩きつづけていた。 
 その先に救いがあると、信じているかのように。



 "RuLiRuLa" EXTRA NUMBER -Slaughter's Tale-

 "Prologue"


 
 「…………」

 日光が入っているならそれほどでもないのだろうが、窓がブラインドに遮られ、
日光が殆ど入ってこない今ではほとんど真っ暗な、朽ち掛けたビルの一室。
 小規模なオフィス程度の広さのそこにある、殆ど全てのものは―コンクリートが
剥き出しの内壁でさえ―紫煙によって香りつきでコーティングされており、机の端
に埋もれている何年も前の日付の新聞などは黒ずんでさえいた。
 染みの浮いた壁際に置かれているロッカーはもうずっと触れられてもいないよう
に錆付き、それを開くにはもはや扉部分そのものを蹴り壊すしかないように思える。
 いくつか置かれている事務机の上、ガラクタに埋もれかかっている壊れかけのラ
ジオがノイズ交じりに告げるのは、今日もこの街の何処かで誰かが撃たれただの刺
されただの殺されただの死んだだの、そんな、聞いている人間の大多数を占める直
接事件に関係のない者達にとっては聞き飽きたニュースか…そうでなければ時折割
りこむ品のないナビゲーターの声さえなければそれなりに聞けるであろう時代遅れ
の曲ばかり。
 暗い部屋の奥、唯一の明りとなる蛍光灯の卓上スタンドに照らされて、一人の男
が灰色の事務机の上で黙々と手を動かしていた。
 作業の対象、箱型の金属筒やスプリング、曲がった金属板などのそれらはガラク
タや工具の中―適当に腕で払ったように周辺が乱雑になっている―開いた空間にき
ちんと整理されて置かれている。
 大小様々な傷に覆われた手が小さなスプリングを取り上げ、入念に汚れた油やゴ
ミをふき取る。
 男は蛍光灯にかざしたスプリングを眺め、しばしの後にそのスプリングを机にお
いてまた他のパーツを取った。
 男がパーツを覗きこみ、スタンドの光が斜めから男の顔を照らし出す。
 顔の造作はさして特徴があるわけでもない。モンゴロイドに良くある彫りの浅い
顔がわずかに眉を顰めて手元を注視している。視線の元にある、光を吸いこむ深淵
のような黒い瞳とは対照的に、逆立てた髪は色素が抜けたと言うよりも色素自体が
白いかのような不透明な灰色をしていた。
 黒いシャツに履き古したジーンズと言う力の抜けた出で立ちだが、先ほど見えた
腕、襟からのぞく厚い胸、首や、よく見てみれば顔までもが数え切れない傷跡に覆
われている。
 やがて作業が終わったのか、男が息をついて重心を後ろに倒した。椅子の背もた
れが男の上半身を必死に受けとめ、油の切れたスプリングがぎぃと苦鳴の様に音を
響かせる。
 満足げな男の前の机の上にあるのは、二丁の銃だった。
 箱型のフォルムが特徴的な、オートマチックの自動拳銃。
 イジェクションポートが二丁で逆に付いている事から、男が両利きである事がわ
かる。
 かなり大振りである事や直線を中心に構成されている事から、全体として無骨な
印象のそれは、イジェクションポートの縁を見れば当然の如く、肉厚もかなりのも
のだった。
 持ち上げることすら難儀しそうなそれの一丁を軽々と取り上げ、スライドの後退
からロック、マガジンの固定やリリース等の動作を確認してから、男はそれを腰の
後ろにあるホルスターに仕舞いこんだ。
 そして、男はもう一丁もホルスターに仕舞うべくグリップに右手をかけ。

「――」

 軽く目を見開き、男が動きを止めた。
 窓の方へ向き直りながら立ちあがる。腕に引き摺られ、グリップ部分だけが持ち
あげられた銃の銃口が机と擦れて渇いた音を立てた。
 右手に銃をぶら下げたまま男は窓に歩みより、埃の積もったブラインドを指で上
下に押しやった。
 入ってきた真っ白い光に、男の瞳孔が収縮した。
 上を向いた視界は黒いビル群とその隙間を埋めるような灰色の空を写しだし、次
に下を向いて白に埋め尽くされた路地を映し出す。
 ……否。
 覆い隠すような白の中、点々と黒い部分がある。
 それ自体の大きさも歩幅も小さめなそれは通りの遥か向こうから続き……真下、
つまりこのビルの入り口の前まで続いていた。
 足跡の続く先、低い階段の隅にあるのは、白い物体。

「……?」

 目を凝らすと、それは白いのではなく雪が積もった為に白く見えるのだと解る。
 そこまで確認して、男は窓から離れた。銃のスライドを引いて初弾を薬室に送り
こみつつ、立て付けの悪い部屋のドアを開いて、やはりコンクリートの地肌が剥き
出しの廊下を通って、ひびが入って壁の一部が剥がれ落ちている階段を降りていく。
 こつこつと硬いコンクリートと硬い靴底が打ち合う音だけが男の耳に反響する。
部屋の荒れ具合に違わず、階段も人が住んでいる施設とは思えない状態だ。
 壁の隙間を染みとおってきた水が染みを作りながら階段に浅い池を作り、天井や
壁から落ちた塊が転がっている。
 そんな階段を降りきり、当然のように荒れ放題のホールを抜けた男の視界に入っ
てきたのは先ほどの物体。いや、この距離にまで近づけば流石に解る。
 人間、しかもかなり小柄な人物だ。
 そこまで理解して、男は無言で倒れている人間に銃を向ける。
 なんだかんだと言って男には『敵』が多かった。今までは直接のぶつかりあいば
かりだったが、今度もそうとは限らない。
 そうでなくとも『行き倒れに見せかけた、善意の人間を狙う強盗』の可能性も捨
てきれるものではない。
 実際、まだ人が良かった頃に腹に穴をあけられたのはそう言う手口だった。
 自嘲気味に息を吐いた男はすぐにもとの無表情に戻り、銃を構えながらゆっくり
歩み寄って――

「!?」

 倒れている人物―少女―の顔を認識した瞬間、急いで銃を仕舞って小さな肩を抱
き起こした。その拍子に、少女が握っていたのであろう、黒い色をした物体がぽと
りと雪の上に落ちる。
 積もった雪を払い、少女の細い首筋に手を添えて鼓動を確認した男は安堵の息を
吐き出した。だが、すぐに表情を引き締めて少女を抱き上げ……落ちた物体に気が
付いて、拾い上げる。

「これは……」

 それは男には見覚えのある、ありすぎる鍵。
 雪の降る中、男―ソード・ストライフ―は困惑気味に、腕の中の少女と鍵を見比べ、
呟いた。


「何故……お前がこれを持っている?ネリー……」



 ザ・趣味全開。
 …………スンマセン

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