薄暗い部屋に、ちりちりという金属の焼ける音とわずかな呼吸音だけが広がって
いく。
 ストーブに火がつき、徐々に熱が周囲に拡散していくのを確認してから、ソード
は立ちあがった。
 やかんを机から掘り出して蓋を開け、覗き込んで中を確認してから、部屋の中で
は割合綺麗な場所である備え付けの洗面台の蛇口を捻る。
 ヒーターが入っているわけでもない水道管は、この寒さにも運良く凍りついては
いなかったらしく、空気の抜ける音に続いて水が吐き出され始める。
 転がるような音を立てて水が満たされていくのを聞き流しながら、ソードはポケ
ットに手を入れた。引き出した手を開くと、そこにあるのは黒い鍵。
 断面が六角形という変わった形状の鍵は、塗装されているわけでもなく、素材そ
のものが黒かった。光沢も金属とは異なるそれは、手触りからセラミック製だと解
る…いや、知っている。
 ソードはそれを手の中で転がしながら物思いにふけっていたが、やかんの水が溢
れそうになっていることに気付いて慌てて蛇口を閉じた。
 ぶら下げてソファの前へ向かう手の中で、やかんがたぷたぷと水音を立てる。
 すっかり熱くなったストーブの天板にやかんを置く。
 表面についていた水滴が急激に与えられた熱を吸って弾ける音を聞き流し、ソー
ドはぼろぼろのソファで毛布に包まって眠る、知り合いの娘―コルネリア、愛称は
ネリー―を見やった。



 "RuLiRuLa" EXTRA NUMBER -Slaughter's Tale-

 chapter1 "contract" 



 一通りの処置を終えてソファの前に陣取り、ついでに銃やもろもろの整備を始め
てからしばしの後。

「……ん」

 ネリーが微かに身じろぎし、ぱさりと落ちた細い髪が彼女の鼻筋にかかった。
 視界の端でそれを見とめたソードは工具をそばのテーブルに置き、顔だけ横を向
いて髪を払ってやる。
 そして、ネリーの寝顔に視線を止めた。
 最後に見たのは二年ほど前だろうか。恥ずかしがり屋で、最初の頃はよく、少し
離れた場所で上目遣いにこちらを観察していたのを思い出す。
 髪も伸び、少しずつ女性らしさを獲得してきた寝顔に彼女の母親の面影を見だし、
ソードは溜息をついた。
 ふと、ネリーの顔の中で今だ見ていない部分があることに気付く。
 蒼。寒色でありながら、その色は光と共に暖かな空を連想せずにはいられない、
そんな聖蒼の瞳。
 それを、未だ目にしていない。
 そのことが何故だか無性にもどかしく思えて、ソードは無意識にネリーの顔の輪
郭に沿って手を滑らせた。
 皮膚の表面はまだ冷えてしまっているが、その内…奥には確かな暖かさを感じる。
 …ネリーの母と父、二人は共にネリーが平穏な生活を送ることを望んでいた。

『この娘は、娘だけは、平穏に生きさせてあげたいの』
『組織は既に調和の時を向かえた。だが、何があるとも限らん。その時は……』

 その筈が、何故ここに…ソードの元に、ネリーが来るのか。
 彼等に何かがあったと考えるのが普通だが、ではその何かとは?
 ネリーの父……コンラッドは、曲がりなりにも街一つを勢力下に収めるマフィア
の頭目だ。連絡する暇もないと言うのは一体?
 調べなければ解らないが、ネリーの傍を離れる気にもなれない。
 ネリーに触れながら、ソードは眉を顰めた。
 震えているのだ。
 ネリーの身体は既に筋肉を使って熱を生産せずとも良い状態まで回復している。
それでも、その小さな身体は震えが止まっていないし、時折細い眉が顰められるの
も苦痛の為ばかりではないだろう。

「――ぁ」

 触れた感触がきっかけになったのか、蒼い瞳が露わになる。
 茫洋とした視線が数瞬の間揺らいでソードの上で止まり、静かに焦点が合わせら
れた。
 見えたのが見知った顔だったからか、ネリーは目立って取り乱すこともなかった。

「……おに…ソード、さん?」
「どっちでもいいがな」

 以前からの呼び名を口にしかけ……はしたないとでも思ったのか、言いなおした
ネリーにごくわずかに表情を緩ませながら、ソードは触れていた手を戻して立ち上
がった。
 どこからか持ち出してきた洗面器にやかんの熱湯を注ぎ、水を足してぬるま湯に
する。

「これで手を温めるといい」
「あ――は、い」

 ネリーは頷くと、毛布を肩に掛けたまま上体を起こした。グレーの膝丈スカート
の裾を整えてから黒のタートルネックの袖をまくり、軽く指先で温度を確かめてか
ら手を水面に沈める。
 無言。ネリーは俯いきながらぱちゃぱちゃと湯を手に擦りつけ、ソードは煙草を
火をつけずにくわえたままストーブの火を見ている。
 そして、何度目かの水音が部屋の内壁に跳ね返った頃。

「……何があった」

 ストーブの火力を強めながらソードが口にした言葉に、水音が止まった。
 狭い水面を反射する波紋の向こうで、小さな手がきゅっと拳を形作る。

「家で……襲われ、ました」

 端的な言葉。整理しきれていないのだろう、時折考え込みながらネリーは言葉を
続けた。

「何に?」
「わかりません。ヒト…の形をした、ぜんぜん違うものだと…思い、ます。それで
……パパが、ソードさんのところへ――」

 湯に使っている手を見ているネリーの瞳は、しかし手に焦点を合わせてはいない。
 屋敷に響く銃声。
 闇の中、銃火に照らされて浮かぶ、いくつもの白い顔と赤い目。
 焦燥に彩られた父の顔。
 血の付いた手から渡された黒い――

「――っ鍵!?」
「ここにある」

 慌ててポケットを調べたり、周囲を見まわしたりしているネリーに、ソードは持
っていた黒い鍵を見せた。
 鍵を一度握りこみ、伸ばした人差し指と中指に挟みなおしてソードはネリーに問
う。

「こいつはコンラッドが渡したのか?」
「はい」
「…………どう言う意味だ」

 小さく呟き、ソードは目を閉じた。
 溜息をついて顔を上向け、鍵を弄ぶ。

「……わかった。とりあえず、ここにいる間は守ってやる」
「…はい」
「一区切りついたら手続きやらの準備を始めよう」
「え?」

 虚を突かれた表情で聞き返すネリーに、ソードも片眉を上げて不信な視線を返す。
 数秒の沈黙。
 ……先に復帰したのは、ソードだった。ああ、と声を上げて納得し、頭を掻いて
言い聞かせる。

「あのな……俺の仕事――いや、コンラッド達に頼まれたことか。それは『何かが
あった時、お前の安全を守ること』だ」
「あ…は、い」
「だからその為に、お前を別の場所に移して生活させる。それ以外は後回しだ。以
上」
「え、あ…」

 最優先すべきはネリーの安全の確保。その速やかな実現の為には他のこと―例え
ばネリーが思うであろう、コンラッドの消息の確認や事態の把握―は後回しになる。
 簡潔に斬り捨てたソードにそれでもネリーは何かを言いかけ……沈黙した。
 ふむ、と頷いて色々と準備すべく立ちあがったソードを、低い声が引きとめる。

「……よね?」
「あ?」
「私が仕事として頼めば……やってくれるんですよね?」
「まあ、そうだが」

 困った顔をして腕を組むソードを決然と見上げ、ネリーは言い放った。

「なら、『私が』ソードさんを雇います」

 その一言を、ソードは鼻で笑った。
 やれやれと首を振って腕を解き、呆れ顔で問いかける。

「お前な……俺を雇うときの相場、知ってるか?」
「わかってます……私の持っている金額じゃ、ぜんぜん足りないことも」
「なら」
「足りない分は」

 ぴっ、と水を払った手を自分の胸に置き、ネリーは続ける。

「『私』で、払います」
「…………」

 無反応。
 気合の入ったままの表情でいるネリーの頬を、冷や汗が一筋流れ落ちた。
 数秒後、無表情のソードの口からぽとりと煙草が落ちる。
 そして、ソードの首が落ちるように倒れた。

「……馬鹿か、お前は」
「ば…」
「で?依頼内容はなんだ?」
「え?」

 きょとんと目を瞬かせるネリーに、目じりを緩ませてソードは言葉を続ける。

「これでも兄代わりだったんだぞ?お前がそう言うことなどお見通しだ。それに―
―」

 にや、と唇の端を吊り上げ。

「俺も組織には用がある。『青白い兵隊』の話、最近組織から流れてると言う『強
化麻薬』の話とか…色々な」
「青白い…?」
「ああ、最近組織がらみで出没するらしい。生身じゃ歯が立たない相手だとな……
何か知っているか?」
「……見ました。襲ってきたのは、多分」
「やはりか…しかし」

 ん?と首を傾げたネリーに、ソードは溜息一つ。

「馬鹿も休み休み言え、馬鹿者。意味もわかってるんだろうが、それでもそんなこ
とは口にするものじゃない」
「あー…………ん。ごめんなさい、それとありがと。お兄ちゃん」

 色々と否定された気分になってガクリと肩を落としたネリーはしばしの後、力の
抜けた笑顔で礼を述べた。
 一度目を閉じてからソファの上で居住まいを正し、膝に掌を重ねて置いた形で真
っ直ぐにソードを見つめる。

「私は、パパの仇を討ちたいんです。それと、パパの名前を汚すようなことも止め
させたいです……けど、力が足りません。だから、手伝ってくれますか?」

 答えるソードは腕を組んだまま、しかし視線を受けとめる目は真摯に。

「了解だ。組織から頼まれたのでもなくコンラッドから頼まれたのでもなく、お前
という個人だけに力を貸そう」
「ありがとうございます、ソードさん」
「随分と丁寧に……まあ、コンラッドも予想はしていたんだろうな。これを渡した
と言うことは」

 重ねられた礼に苦笑し、ソードは持っていた黒い鍵をもう一度示して見せる。

「それって…」
「ああ、俺のものだ。どうせ使うんだ、見るか?」

 答えを聞かずに歩き出すソードに、ネリーは慌てて立ちあがって後を追った。



 薄暗い階段に、二人の足音と会話だけが響く。

「じゃあ……ソードさんも殺し屋だったんですか?」
「そんな上等なもんじゃない。ただの掃除屋だ……どうしようもないクズ専門のな。
あの時はコンラッドが一番マシだった」

 時折落ちているコンクリート塊につまずきながら、ネリーはソードについていく。
 外からの直接の光は一切入らず、明りになるのは階上からの反射光のみ。そんな
中をソードは全く危なげもなく歩いていた。階段が欠けている部分も落ちてきたコ
ンクリート塊も、視線すら向けていないのに見えているかのように避けている。
 地下の2、3階ほどまで降りた頃、二人の前には広いフロアとごつい両開きの扉
があった。
 この建物にあるものとしては例外ではなくこの扉も相当痛んでいたが、それでも
錆の浮いた金属の巨大な質量は頑として存在している。
 中央についているノブ…の後に付けられたのであろう、太い鎖をソードが引っ張
ると、巨獣が喉を鳴らすような音を立てて扉が開いていく。

「……うわ」

 じりじりと蛍光灯の明りが空間を照らし出す。
 武器武器武器武器。
 扉の奥にもまた広がって――おそらくこの階はこの部屋しかないのだろう――い
た広い空間は、銃や刃物問わず無数の武器が鎮座していた。
 天井まで届きそうな棚の間を通り、ソードは更に奥へ進んでいく。

「で、だ」

 言いながらソードが足を止めたのは部屋の端、壁の前。
 不思議そうに見るネリーの前で、ソードが壁に触れ……

 ごぉん……

「!」

 ごりごりと擦れながら壁がスライドした。
 その奥、真っ暗な中に浮かび上がったのは――銀色のアタッシュケース。
 ただし、そのサイズが普通ではない。どう見ても人間が二、三人は余裕で入れら
れるサイズである。

「な…なんですか、これ?」

 呆れ半分、驚き半分でケースを見るネリーの前で、ソードはにやりと笑って鍵を
取り出して見せた。
 目を見開いたネリーが思い至ったことが解ったのだろう、ソードが振り向いてケ
ースの真中にある穴に鍵を差し込んだ。

「そう、こいつの鍵だ。中身は……」

 がちん……きゅい、かち……ばしゅ。

 なにやら小さな機械音が連続して響き、圧搾ガスの抜ける音と共に巨大なケース
が開いていく。
 白い煙がたなびく中、真紅のクッションの中に鎮座していたのは、巨大な――

「十字架?」
「そうだ。イカれた職人が作ったイカれた武器……」

 そうなると俺自身もイカれているのだろうな、と笑いながら、ソードが『それ』
を片手で持ち上げる。

「……パニッシャー・クロス。俺の武器だ」







 文章が……展開が……グフッ(吐血)

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