「ふむ」

 夜空を遮って重々しく広がる雲の下、激しく降る雨を受けて黒々と広がる森の中
で腹ばいになりながら、望遠鏡代わりにライフルのスコープを覗き込んでいるソー
ドが呟いた。

「…そちらはどうだった?」

 先ほどとは違う呼びかけるような調子でソードが言ったと同時、葉の擦れあう音
を立てて人影がソードの背後に現れた。
 現れた人物――ソードと同じく、黒を基調とした戦闘服にいくつものポーチを付
けた格好のレグニス――は雨音の中でぎりぎりソードに届くだけの距離を測ったか
のような小さな声で答える。

「駄目だな。全滅か離れた場所に降りたか……どちらにせよ」
「もう時間がない。俺たちだけでやるしかない、か」

 その言葉に頷いたレグニスが黒い顔料を取り出し、付けた指をナイフに滑らせて
黒く塗り始めた。
 ソードはいつも背負っている巨大な銃器は今は携帯しておらず、木製ストックの
簡素なボルトアクションライフルを肩に下げていた。弾帯から一発抜き出して装填
し、薬室が閉鎖されていることを確かめる。

「予定変更、奇襲から破壊工作だな」
「……面倒な話だ」

 淡々と現状を確認したレグニスとため息をついたソードは静かに立ち上がった。


The Extra Episode "Sneaking/1st"


「この作戦は、我が軍にとって非常に重要といえる」

 ブリーフィングルームに居並ぶ、妙にばらばらな雰囲気の顔たちに向かって、作
戦の担当だという士官はしかめ面で告げた。
 簡単に言えば、施設破壊。
 集められた機奏英雄達に要求された事自体は、その一言で説明がつく。
 もちろん他に、施設が山上の攻めにくい位置にあり、砲台すら装備しているため
に通常の部隊で攻めるには不向きなこと、その施設の対空砲火により敵勢力圏内、
補給路空爆が行えないことなどと言った要素があるのだが。
 作戦は施設付近、軍隊同士の前線を少し越えたあたりまで二つに分けた部隊を空
輸、その後森の中に降下して施設を強襲し、対空能力を奪った後に空爆で施設を完
全に破壊するというものだった。

「この新方式の作戦が成功すれば我が軍は大きなアドバンテージを得ることになる。
必ず成功させて欲しい……以上、解散」

 ソードにとっては久々に肩の凝る時間が終了し、それぞれが作戦への準備に席を
立ち始めたとき。
 
「……――」

 視線を感じてソードは振り向いた。
 視線の先、壁際にいるのは――――

「…………」

 野性味のある、端正な顔立ち。黙って立っていれば……いや、『柔和な表情で』
立っていればそれなりに女性の目に留まるであろう、10代後半から20程度の青
年とも少年とも呼びにくい年代の男が、ソードに視線を向けていた。
 他の男たちが立ち上がり、歩き去る中で二人は視線を合わせたまま動かない。
 ふと、ソードが目を細めた。
 浮き上がる違和感とも、嵌まり込んだ適合感とも違う、なんとも言えない感覚。
 この男を見ていると、そんな妙な感覚がソードの脳をかき回す。
 ……ただ――――

「……貴様、名は?」

 男が言った言葉に意識を引き戻され、ソードは片眉を上げた。
 ふむ、と顎に手を当てる。

「人に名を聞く時はまず自分から……と、良く言うが?」

 人によっては気分を害するような声音にも何の反応も示さず、男は事務的な様子
ですまん、と詫びた。

「俺はレグニス・ハンプホーン。今回はアルファ・チームになった。貴様の名は?」
「……ソード・ストライフ。ブラヴォー・チームだ。よろしくな、ハンプホーン」
「レグニスだ」

 年に似合わない、刃のような眼光が右手を差し出したソードを真正面から捉える。
 ソードはその言葉に微かに首をかしげた。
 初対面からファーストネームで呼ばせる……そんなに馴れ馴れしいタイプには見
えないのだが。

「……ハンプホーンと呼ばれるのは好きではないのでな」
「そうか。ではレグニスと呼ばせてもらおう」

 そう言って握った、傷跡だらけの手から伝わる筋肉の動きもやたらと力強い。
 ぐ、と握ってから手を放し、ソードは問いかけた。

「君はあまり社交的という感じではないが……何か俺のことが気になったのかな?」
「なんと言うこともない。ただお前から戦場……そう、血まみれの戦場の臭いがし
ただけだ」
「ほう」

 どこまでも率直な言葉に、ソードは笑みを浮かべた。
 ……ソードが感じたことも、まさしくそうだったのだから。
 そう、ただ似た臭いがした。ある意味懐かしい、血みどろの地獄の臭い。
 普段より少しだけ気さくな調子で、ソードは試しも含めた問いかけを発した。

「この作戦、どう思う?」

 少しだけ測るかのような目つきでソードを見たレグニスは、もはや誰もいなくな
ったブリーフィングルームの壁に寄りかかって口を開いた。

「……捨て駒だな、おそらくは」
「意見が合うな。俺もそう思う」

 少し考えればそのことを示す要素は沢山出てきた。
 『新方式の作戦』…つまり今まで実行したことのない方式をいきなり実戦に使お
うとしている、『作戦参加者のほぼ全てが傭兵』…つまり部隊が全滅しても正規軍
には痛くない、その上報酬が全額前金でなく多少の前金と成功報酬、更に……

「あの仕官、『成功すればアドバンテージを得る』とは言ったが『失敗すれば不利
になる』とは言わなかった。ならばその通りなのだろう」
「……恐らくは、な」

 まあ、契約段階からそんなことは分かっていたのだが。
 しかし、そうなれば当然疑問が出てくる。すなわち。

「……で、そんな作戦だとわかって君は参加したのか?何故?」
「そこまで答える義理もない」
「まぁ、そうだな」

 ソードはひとしきり笑うと、組んでいた腕を解いてレグニスに背を向けた。

「チームは違うが、お互い失敗すれば死ぬ身だ。くれぐれもよろしくな」
「言われるまでもない」



「……それが輸送中に落ちると言うのだから笑えん話だ」

 言葉に反して皮肉な笑みを浮かべながら、ソードは森の中に伏せてライフルのス
コープを覗き込んでいた。
 スコープにぼんやりと映るのは、白い施設の建物……険しい山上と言う立地から
すればまさしく要塞にも等しいであろう、頑強そのものの建造物、2階から張り出
したテラスの部分に立っている歩哨である。
 夜、しかも嵐であるだけに本来昼間にしか使えないスコープの像は暗かったが、
なんとか人間を区別するくらいはできた。
 わずかにスコープを下に動かす。入り口に立っている二人の兵士と、その死角に
接近する黒い塊……レグニスを確認する。
 ……いくらなんでも、部隊の乗ったコンテナを輸送する飛行型奏甲が乱気流で墜
落すると言うのは想定外だった。ぐるぐると回転するコンテナから必死に飛び出し、
パラシュートを広げ、着地して集結地点に向かったソードが見たのは、ぽつんと佇
むレグニスただ一人だったのだ。
 歌姫とのケーブルを介した通信で現状を送り、その答えが『作戦に変更なし、施
設を無力化せよ』だったのだからまた笑えない。

「……まあ、それでもやれることはやれるか」

 どちらにせよ、ここは敵の勢力圏内。迎えが来ないことには帰れないのだ。
 先ほどの通信、レグニスの歌姫の怒号を思い出して苦笑するソードの視界の向こ
うで、壁に張り付いたレグニスが手を振った。

「…………」

 瞬間、意識が切り替わる。
 無駄な思考を殺し。
 無意味な感情を押しつぶし。
 意識をただひとつの目的に絞り込み。
 サイトの中心、黒い十字の奥に兵士の頭を合わせる。
 自分の呼吸によって揺れるライフル、兵士の動き、風の動き、そして雨粒の抵抗。
 それらを演算し、予測して細かく銃身の向きを調整していく。

「……作戦、開始」

 口の中で呟き、同時にケーブルに言葉を乗せながら、ソードはライフルの引き金
を引いた。

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