無駄な思考を殺し。
 無意味な感情を押しつぶし。
 意識をただひとつの目的に絞り込み。
 サイトの中心、黒い十字の奥に兵士の頭を合わせる。
 自分の呼吸によって揺れるライフル、兵士の動き、風の動き、そして雨粒の抵抗。
 それらを演算し、予測して細かく銃身の向きを調整していく。

「……作戦、開始」

 口の中で呟き、同時にケーブルに言葉を乗せながら、ソードはライフルの引き金
を引いた。


The Extra Episode "Sneaking/2nd"


 ――ばかんっ!!

 頭上で水を含んだ何かが割れるような音がした瞬間、レグニスは建物の陰から飛
び出した。
 要塞への侵入口……兵士用の出入り口、その両脇に立つ二人の兵士の姿を確認し
て、一際強く地面を蹴る。

 ぱしゃっ!
「…ん?」

 水音を聞いた兵士が振り返った時、レグニスは既にその頭上を上下逆さになって
滞空していた。
 雨水の筋を靴先に引きずり、暴風に黒いポンチョを翻してきりもみ回転しながら
宙を舞ったレグニスの両手が閃く。
 しゅきゅきゅん、と二閃。空中に黒い弧を描いてレグニスは出入り口の前に着地
し、膝をたわめて衝撃と音を殺した。
 ゆっくりと立ち上がるレグニスの背後で、出入り口を見張っていた二人の兵士が
首から血を噴出して倒れる。
 普通なら大々的に流れて血臭を撒き散らすであろう大量の出血は、雨にまぎれて
地面を流れていった。
 勢いは弱まっているものの断続的にぴゅっ、ぴゅっと血の溢れる死体をレグニス
は引きずって茂みに隠した。未だ地面に残る赤黒い筋は……その内消えるだろう。
 出入り口をそっと押し開け、片目だけ出して中の様子を伺う。
 風や雨、雷の音がやかましいほどの外から壁一枚隔てた中は、無音とは行かない
までも相当に静かだった。生きた人間が居る施設である以上足音を立てたくらいで
どうにかなるということはないだろうが、慎重に事を進めるに越したことはあるま
い。
 右、左を見て、耳を澄まし……敵影なし。

「……」

 無言のままにレグニスは灰色をした廊下に滑り込み、ずぶ濡れのポンチョを脱ぎ
捨てた。どちゃりと重々しい水音を足元で立てつつ、改めて装備の固定を確認する。
 脳裏にケーブルを介したソードの声が響く。

『こっちは移動中だ……お前は中、俺は外。目標は指揮官か弾薬集積所、いいな?』

 本来少ない……いや、少ないという表現すら生温い今の戦力を更に分割して作戦
を行うのは定石に反するが、爆撃部隊の到着予定時刻――夜明け――まで余裕がな
さ過ぎた。

『問題ない。俺は先に行く』

 まあ、二人の戦闘技術の方向性が違いすぎて、一緒に隠密行動した場合どちらか
が遊んでしまう可能性が高いというのも理由ではあるが。
 手にナイフを持ち、低い姿勢でレグニスは駆け出した。



「…………」

 がしゃり、という音と共に薬莢が弾き出され、眼下に茂る枝の中を転がり落ちて
いく。
 ソードは木の枝に埋もれるように幹に背を預け、座ったまま、ライフルから手を
放して強く握りこんだ。水を吸った皮のグラブが圧力を受け、ぽたぽたと水滴を落
とす。
 ごくごく狭い射界を最大限に利用してライフルを向けなおし、嵐の騒音に紛れて
発射音をごまかす。
 別段狙撃しかできないわけでもない……はずだが、室内近接戦闘においてはレグ
ニスのほうが勝っていることは終結地点で相談した時に解っていたので、ソードは
外から施設の『視界』を奪うことに専念していた。

『……やはりそのあたりの兵士を締め上げて情報を得るべきではないか?』

 ひたすら『かくれんぼ』で進むことにいい加減焦れて来たのか、鬱陶しそうな声
でレグニスが通信してきた。
 ぱん、とまた一発ライフルを撃ち、弾を込め直して肩にかけながらソードはその
意見を否定する。

「リスクが大きい。賛成できんな」

 枝にぶら下がり、風に揺れる枝葉を突き抜けて着地。深く残った足跡は気にせず、
腰を下げたまま木の間を縫って走るソードは続けた。

「締め上げた奴がケーブルを使えないという保障はない。それとも一目で看破出来
るか?奴らのあの服で」
『…………無理だな』

 兵士たちの服装はゴツく、更に首もすっぽりと隠れる重装備だった。下手をすれ
ば性別もわからなくなりそうな服でチョーカーを判別するのは難しい。

『仕方ない。探索を続ける』

 元から本気で言っていたのではないだろう、レグニスはあっさり意識を切り替え
たようだった。先程言ったことなどなかったかのような調子で宣言する。

「現在地は?」
『格納庫……だな。フォイアロートに飛行型が幾つか、それにシャル3。流石に重
量級はいないようだ』
「山の上だからな……破壊するのか?」
『爆薬は足りる。少なくとも飛行型は潰しておく』

 了解、と答えてソードは再び狙撃に集中した。



 キャットウォークの上から覗かせていた顔を引っ込め、レグニスは錆の浮いた手
摺に手をかけた。
 たん、と軽く背面宙返りで手摺を飛び越えて格納庫の床へ落下していく。
 コンテナとドラム缶の並ぶ、格納庫の隅にレグニスは着地し――

「動くな!」

 しゃがみこんだ姿勢のまま、渋い表情になって動きを止めた。

「…………」

 ゆっくりと手を挙げ、立ち上がりながら、レグニスはわずかに意識を傾けた。
 足音や呼吸音、その他の物音から考えて数は三人。両手を挙げているレグニスの
背後から、ライフルを構えて近づいてくる。
 銃口が向けられるちりちりとした感覚を肌に感じながら、レグニスは目を閉じた。
 ……まだ、遠い。

「何者だ、貴様っ!」

 レグニスが背を向けたままだからか、近づきながら兵士の一人が苛ついた声で誰
何した。それでもレグニスは動かず、ただただ佇んでいる。
 横並びになっていた3人は扇形にレグニスを取り囲んだ。
 最前線の熱病に冒されていない『常識的な判断』を行う兵士として彼らはレグニ
スを発見した瞬間、即座に射殺しようとはしなかった。
 ――それが、そもそもの間違いだったのだが。
 兵士たちが間合いに入った瞬間、レグニスの上半身が揺らいだ。
 はっと兵士たちが狙いをつけることに集中した瞬間。

「!?」

 サイトを通してレグニスに狙いをつけていた兵士たちの視界から、レグニスの姿
が突如消失した。
 驚愕した兵士達がサイトから目を離し、視界を広く取ろうとして――
 下から伸びた右手が、一人の持つライフルの銃身を掴んだ。
 次の瞬間にはもう一人、扇形の中央にいた兵士のライフルが垂直に上がってきた
脚、その膝に挟み取られる。
 瞬きほどの時間、人間の反射神経を超えた速さで行われたその動きに、最後の一
人、レグニスの右手方向にいた兵士は下に視線を向けることしかできなかった。
 ……身をかがめたまま、信じられないような角度で片足立ちしているレグニスと
目が合う。

「この…!」

 悪態をつきながら、兵士がライフルを構えなおし。
 ひゅかん、というごく微かな音がして、グリップを握る右手がすっぽ抜けた。

「あ?…あ、ああ!?」

 訝しげに兵士が自分の右手を見た次の瞬間、恐慌に染まった叫びと真っ赤な鮮血
が銃を押さえられた二人の兵士の顔に飛び散り、銃から手を離しかけていた彼らの
視界を赤色が占拠した。
 赤い飛沫の中で鈍いきらめきが走り、腕を斬り飛ばされた一人が倒れる。
 次いでレグニスが身をひねり、中途半端に腕に引っかかっていた銃を引っ張られ
て兵士が姿勢を崩した。
 レグニスが身をひねるのに追従して振るわれたナイフが中央の一人の頚動脈を深
々と断ち切り、押さえ込んでいた銃を放したレグニスが右手を地面について更に身
体を押し出しながら下半身を回転させる。
 ごぎゃり、と靴の踵が最後の兵士の即頭部にめり込んだ。吹き飛んだ兵士が鈍い
音を立てて壁に激突し、ずるずると崩れ落ちる。
 一瞬逆立ちの体勢になり、とん、と右手一本で飛び上がって立ち上がったレグニ
スは渋い顔になった。
 ……一度発見され、さらに血痕まで残してしまった。遅かれ早かれ敵は警戒を強
めてしまうだろう。

「……急がねばな」

 口の中でつぶやき、レグニスは音もなく駆け出した。

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