「ではレグ、我々は買出しに行ってくる」
「くれぐれも、コニーちゃんのことを頼みましたよ」
二人の歌姫が念を押すように言うのをうけて、レグニスは頷いて見せた。
「了解した、面倒を見てればいいんだな」
その手に赤ん坊を抱いたまま。

育成編 第3幕〜オプションパーツ『赤子』〜


二人が部屋から出て行くのを見届けると、レグニスはベッドの上にコニーを下ろした。
ついでに自分も端に腰掛ける。
「さて……」
ぽつりとつぶやく。珍しく暇になった。
ブラーマとルルカは買い物、つきまとってくる優夜は、あまりにうっとうしかったので適当に金を
渡したら酒場に直行して行った。おかげで静かなものである。
(せっかくだ、訓練でもするか)
たまの暇ぐらいゆっくりすればいいものの、レグニスにそんな考えはない。
できるうちに、やれるだけのことをやってしまう性質なのだ。
「よし」
17号めの標的人形の製作に移ろうと、レグニスが腰を浮かせかけたその時、服の端を誰かがはっ
しとつかんだ。
「…………」
無言のまま視界をめぐらせる。いつのまにはい寄って来たのか、コニーが服の端をその小さな手で
つかんだまま、きょとんとした顔でレグニスを見上げていた。
「一応言うが、離せ」
「だぁ?」
あどけないしぐさでコニーが首をかしげる。レグニスはさらに無表情になると、服をつかむその手
をゆっくりと引き剥がした。
「う〜う〜」
コニーは不満そうな声をあげるが、そんなものを気にするレグニスではない。
そのまま立ち上がり、標的人形の製作に必要なわらを集めてこようと部屋の出口にむかう。
「う〜、ちゃ〜」
出て行こうとするレグニスを追いかけるかのように、コニーがベッドの端から身を乗り出した。
ぐらりと体が傾き、固い床めがけて……

落ちる寸前、一足飛びで舞い戻ったレグニスによって抱きとめられた。
「貴様……死にたいのか」
「だぁ〜う、きゃっきゃっ!」
苦い顔をするレグニスとは裏腹に、コニーははしゃいだ様子で手を叩いている。
わずかに表情をゆがめつつ、レグニスはコニーを今度は落ちないよう床の上に下ろした。
「だ……ふぎ……」
レグニスの腕からはなされた途端、コニーがぐずりだす。
(いかん……)
これまでのところ、泣き出したコニーをあやすことができたのはブラーマだけである。
彼女がいない今、ここで泣き出されるわけにはいかない。
とりあえずレグニスはコニーの体を抱き上げた。
「うきゃ〜う、きゃ!」
見る間に機嫌が良くなり、笑い出すコニー。
再び床の上に下ろそうとすると、また顔が歪む。
「貴様……俺に傍に居ろと要求するのか」
「だぁ〜う?」
訓練は、できそうになかった。


「えーと、ミルクに布に……そうだな、たまにはおもちゃでも買い与えるか?」
「ほんっとにお母さんになっちゃってますね……」
楽しそうに市場の品物を吟味していくブラーマを眺めながら、ぽつりとルルカがつぶやく。
困ったような、それでいて照れたような笑みを浮かべつつ、ブラーマが振り返った。
「そ、そんな風に見えるのか?」
「ええ、とっても。それに……」
言葉を切ると、ルルカはブラーマに歩み寄り、その体にばふっと抱きついた。
「ル、ルルカ殿!?」
「それにちょっぴり粉ミルクの匂いがします。『お母さんの香り』です」
抱きついたまま、ルルカは深く息を吸い込む。その顔には安らいだような笑み。ブラーマはくすぐ
ったいような顔をしつつ、目の前の少女の髪を優しく撫でてみせた。
「ふう、それで肝心のレグニスさんとはどうなってるんですか?」
ルルカは顔をあげるとブラーマの体から離れた。一方ブラーマは顔を引きつらせると、わずかに視
線をずらしつつ、
「……言うまでもないだろう……」
「……だ、大丈夫です。これからですよ! レグニスさんはどこかのだれかと違って真面目だし、
腕も立つし、頼みごともきいてくれるし……」
慌てて妙なフォローをいれるルルカ。その顔が、不意に何かを思いついたように輝いた。
「そうだ! 現世には13日の金曜日に好きな相手に愛情の3倍量のチョコレートクッキーを送る
習慣があるそうです。ブラーマさんも送ってみれば……」
「……つかぬ事を聴くが、それは誰から教わったのだ?」
半目になりつつ尋ねるブラーマ相手に、ルルカは『ぎくっ』と肩を震わせると、
「……優夜さんです」
「信憑性は薄いな……紙のごとく」
「そんな! 和紙はああ見えて丈夫なんですよ……って、違います! 全部本当じゃないとしても、
似たような習慣が現世にあるのは……たぶん……間違いない……はず」
後半がどんどん小さくなっていく。ブラーマは苦笑を返すと、
「そうだな、菓子作りもたまにはいいかもしれんな。店主よ、卵と小麦粉、それにバターを頼む」


「あ〜、あ〜う〜」
「なんだ、コニー?」
先ほどまで上機嫌でレグニスの髪や頬をひっぱっていたコニーだったが、急にうなりながら窓の外
へと手を伸ばしはじめたのだ。
「……外に行きたいのか?」
「だぁう〜」
不満そうに声を上げるコニーを前にして、レグニスはしばし黙考した。
ブラーマたちから頼まれたのは、買い物に行ってる間のこの赤子の世話だ。別に外出を禁じられた
わけではない。
「……ま、いいだろう」
そう言うと、レグニスは背負い紐を手に取った。コニーの体を手早く巻き取り、背中に背負う。
「よし、固定完了。あまり動くなよ」
「うきゃあ! きゃう〜」
宿の受付に一言だけ言い残しておくと、妙にはしゃぐコニーを背に、レグニスは町へと繰り出した。

うららかな陽気。風もやさしく、道を行く人通りも多い。
そんな町の中を歩く、鋭い目つきの子連れの男。
はっきり言って、異様以外の何者でもない。周りからも妙なものを見る目つきで見られている。
「だ〜だ〜」
「そんなに外が気に入ったか」
そんな周りの視線など、これっぽちも気にせずにレグニスは歩いていく。
「だ〜!」
ぐいぐい
「……だから髪を引っ張るな」
一瞬にして周りからの視線が、ほほえましいものを眺めるものへと変わる。
「貴様は気楽なものだな……」
髪の毛をつかむコニーの手を引き剥がしつつ、レグニスはぽつりとつぶやいた。
そのふっくらとした赤ん坊の手に触れた時、ふと妙な考えが頭をよぎる。
(俺にも……こんな時代があったのか……?)
その答えは間違い無くYESである。だがレグニスにはそんな頃の記憶など微塵もない。
いや、両親の顔すら自分は知らないのだ。
自分がこうして存在する以上、両親はいた。だが自分の記憶の出発点は5歳の時、あの研究所に連
れてこられた時からである。
おそらくは記憶の洗浄をうけたのだろう。機密の保持や、余計な考えを持たせないために。
もっとも、今となってはどうでもいいことではあるが……
(5歳の時、俺は研究所にいた……)
背中で笑い声をあげるコニーを振り返る。あどけないその表情。そこにあるのは、小さいながらも
確かに存在する、生命のぬくもり。
(だがそれまでは、俺もこうして育てられたのか? 誰かに抱かれて……)


「お、ちょうどそこを行くお父さんはレグニスくんじゃないか!」
思考のそこに沈んでいたレグニスを、その無遠慮な声が呼び戻した。
顔を上げてみる。いつの間にか酒場の前まで来ていた。どうやら考え事をしつつ歩いていたようだ。
その酒場の入り口から、追っ払ったはずの優夜がこちらを見ていた
「いや〜ちょうどいいとこに来た。いっしょに飲もうじゃないか」
すっかりできあがった調子で優夜が歩み寄ってくる。
「いらん」
「そう言うなって、コニーちゃんの社会勉強にもなるし」
「……俺が言うのもなんだが、早すぎだと思うがな」
「いいってこと、それにオレだってまだ飲み足りないんだ」
「貴様、今朝渡した金はどうした?」
「もう全部飲んじまった」
しれっと言い放つ優夜。さらに馴れ馴れしく肩に手を回す。
「だからさ、こっからはレグニスくんのオゴリで飲み続けようかと……」
「よくわかった」
珍しく微笑を浮かべると、レグニスは優夜の首に手をかけ……

ゴキッ!!

「俺はここまで、後は貴様のパートナーの仕事だ」
ぐったりと脱力した優夜の襟首をつかみ、ずるずると引きずっていった。


「あ、帰ってきたみたいですよ」
「う、うむ。そのようだな」
宿の一室にて、二人の歌姫がひそひそと言葉を交わす。
「……ひどいなぁ、死んだらどうすんの?」
「……墓前にヒマワリの花でも添えてやる」
声が次第に近づいてきて、扉を開ける。レグニスとコニー、そして優夜が部屋に入ってきた。
「ん、ブラーマ。戻っていたのか」
「うむ、そっちこそ散歩にでていたのか」
「まあ、そんなとこだ」
答えつつ、背負っていたコニーをベッドの上へと下ろす。そのとき、酒の匂いを敏感にかぎつけた
のか、ルルカが目を吊り上げて優夜へと詰め寄った。
「! 優夜さん、また飲んでたんですか! いい加減にしてください!」
「ご期待通り、いいかげんにしてるぞ」
「そういう意味じゃありません、って第一そんなお金どこにあったんですか!?」
「レグニスくんにもらった」
「レグニスさんも、気軽にあげないでください! お金を川に捨ててるようなものです」
「ただの厄介払いだ、気にするな」
「……レグ、少しいいか?」
会話の切れ目を見計らって、ブラーマがおずおずと声をかけた。
「なんだ、ブラーマ?」
「たまには、と作ってみたのだが……食べてみてくれ」
そう言って、彼女は小さな紙袋を取り出してみせた。その中に入っているのは、少々いびつな形を
しているものの、まぎれもないクッキーだ。
「そうか……」
レグニスはそのうちの一つをつまみあげると、ためらうことなく口に運んだ。
ぽりぽりとクッキーをかじる音だけが静かに響く。
「……どうだ?」
「うまい」
「そ、そうか! よかった」
その一言に、ブラーマの顔がぱっと明るくなる。
「あ、いいな。オレにもちょうだい」
「優夜さんにはわたしが作ったのを差し上げますよ」
そう言って、ルルカもクッキーを取り出す。だが、どことなく色がどす黒い。
「そう? じゃいただきます」
優夜はためらうことなくクッキーを手にすると、口の中に放り込んだ。
その顔色が、なんともいえない色へと変化する。
「ル、ルルカ……これ、何入れた?」
「ス……なんとかっていう亀の生き血です。なんでも力がつくらしいので、力不足の優夜さんには
ぴったりかと思って」
「本来は生で飲む物質らしいが、貴殿ならまぁ大丈夫だろう」
しれっと言い放つ二人の歌姫。
わざとか、本気か。真相は深い闇の中である。

首都は、まだ遠い。

続く

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