日の落ちかけた町外れを、二人の少女が走り続けている。
その姿を追って、巨体の影が地を駆けていた。
と、その巨体の行く手をさえぎるかのように、もう一体の巨体が立ちはだかる。
『いやぁ、レグニス君。今すぐ目を覚ましてくれればオレとしてはありがたいんだけど……』
立ちはだかったシャルVから響く優夜の声にも、何の反応も示すことなく、レグニスのファルベは
すらりとナイフを抜き放った。
『……やっぱだめか。まぁオレの呼びかけで目を覚まされてもなんか気持ち悪いけどな』


育成編 第6幕〜歌え子守唄(後編)〜


振りぬかれたナイフが、夕日を反射して光る。
「うお……っと」
すでに血を吸ったかのごとく紅く輝く刃は、回避した優夜のシャルVの右肩をわずかにかすめた。
すかさず太刀筋が変化し、ナイフがコクピット目がけて突き入れられる。
「うわっひゃあ!」
機体をよじり、かわす。胸部奏甲に薄く切れ目が走った。
「全く……ブラーマちゃんも無茶な作戦考えたもんだ」
軽口を叩きつつ、次々と繰り出される斬撃を優夜はのらりくらりとかわしていった。

「優夜殿にはレグを押さえてもらいたい」
「いや、死ぬって。三秒で」
「大丈夫だ。今のレグは本来の力をまるで使いこなせていないだろうからな」

打ち合わせのときの会話を思い出しつつ、優夜は機体をのけぞらせた。
わずかに遅れたナイフが貫いたのは、頭部のあった空間。
確かに、以前奏甲バトルで戦った時よりもずいぶんとかわしやすい。
あの時のレグニスの動きには『技』があった。
自らの力を生かし相手を追い詰める、狡猾な技術が。
だが今のレグニスの動きにはそれが全く見られない。ただ操り人形のような、ギクシャクとした動
きでがむしゃらに切りかかってくるだけだ。
だからと言って決して反撃の余地のある攻撃ではない。むしろ優夜が手を出せば、一瞬で惨殺され
ること間違いなしである。ゆえに、回避を続けるしかない。
しかしそれで充分なのだ。優夜の役目はレグニスを『押さえる』ことなのだから。
「さ〜て、もうしばらくダンスに付き合ってくれよ……」
苦笑とともにつぶやきながら、優夜のシャルVは踊るように回避運動を続けていった。


(さあ……来るなら来い……)
ぶつかり合う二機の奏甲を視界の隅に収めつつ、ブラーマは深呼吸した。
レグニスを優夜を使って押さえ、リエアとの直接対決に持ち込む。
策ともいえないお粗末な計画だが、今のブラーマにはこれしか取れる手段はなかった。
無論、不安要素なら山ほどある。優夜があっさり倒されたら? 奴が仲間を連れてきたら?
「う〜う〜」
そんな彼女の不安に気が付いたのか、腕の中のコニーが不満そうな声をあげる。
「どうしたコニー、怖いのか?」
「う〜〜、む〜む〜」
「大丈夫だ、私が守ってやる。それにルルカ殿も優夜殿も、がんばってくれているしな」
傍らへと視線を向ける。織歌を紡ぐルルカが力強くうなずいた。
「だから、なにも心配はいらないぞ……コニー」
そう言ってやわらかく笑いかけた、その時だった。

轟音とともに、それが姿を現した。

『……やっぱり現世人なんて当てにできないわね』
それは一機の奏甲……キューレヘルトだった。響いてくるのは、リエアの声。
(しまった……)
ブラーマは内心歯噛みした。敵が奏甲を持っている可能性を見落としていたとは……
『さて、その赤ん坊を渡してくれるかしら?』
重厚な足音とともに、キューレヘルトがブラーマたちへと歩み寄ってくる。
「貴様になど渡すと思っているのか!」
『……わかってないわね』
あきれたような声。それと同時にキューレヘルトの右腕が動き、握っていたマシンガンをブラーマ
たちへと向けた。

銃撃。

銃弾はブラーマたちの周りに大穴を穿ち、土煙を巻き上げていた。
『勘違いしてるようだから言っておくわ。わたしは確かにその子を必要としている。でもそれは、
絶対に必要というわけじゃないの』
「なんだと……」
『手に入れるにこしたことはない、でもそれが無理なら、始末してもかまわないということよ』
「!!!」
「う……ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
ブラーマが絶句する。その腕の中で、銃撃に驚いたのかコニーが泣き声をあげ始めた。
『さあ、その子を渡しなさい。そのまま一緒に死にたいの?』
「ぐ……」
コニーを渡そうが渡すまいが、自分たちは確実に殺されるだろう。
だがここで渡せば、少なくともコニーだけは助けることができる。
この、何も知らない幼子だけは、助けられるのだ。だが……

「渡せん……」
『なんですって?』
「手に入らなければ始末する、などと言うやからにこの子は絶対に渡せん!」
『……馬鹿な小娘ね、たかが拾った赤ん坊にそこまで肩入れするなんて』
キューレヘルトの腕がゆっくりと持ち上がり、マシンガンの銃口がブラーマを狙う。
(! 優夜さん!)
(駄目、無理。手放せない)
<ケーブル>を通じてのルルカの悲痛な叫びにも、優夜は応えることができない。
助けようと背中を見せれば、その瞬間に斬られるだろう。
「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
「大丈夫だ、コニー。私が守ってやる……絶対に……」
銃口からかばうように背を向け、ブラーマは泣き続けるコニーをぎゅっと抱きしめた。
『一緒に死になさい』
あざ笑うような声とともにマシンガンの引き金が……

「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」

そのとき、優夜のシャルVの膝ががくりと折れた。
(? お、おいルルカ、パワーダウンしてるぞ。また貧血か?)
(え、そんなはずは……あ、あれ?)
不思議がるルルカの前で、みるみるうちにシャルVの出力が落ちていく。
そしてそれはシャルVだけではなかった。レグニスのファルベも、キューレヘルトも、パワーダウ
ンしたように膝をついている。
(う、歌が……織歌が届いていない……!?)
『クッ……赤ん坊とはいえやはりあの女の娘か!』
愕然とするルルカを他所に、リエアは吐き捨てるように叫んだ。

「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
「こ、これは……歌術!?」
泣き続けるコニー。その小さな体から力があふれ出し、自分のチョーカーを使って具現化されるの
をブラーマは感じていた。
それだけでもすごいことだが、さらに彼女を驚かせたのはその歌に込められた力だった。
「中和……しているのか……他の歌術を」
チョーカーを通してブラーマは歌の持つ力をはっきりと感じとっていた。
「これが、この子の『血筋』だと言うのか……」
『その通りよ……ある一族だけが使える、すべての歌を無差別に無力化する力……われら自由民に
とって、決して他者に渡すことのできない力よ』
不安定な動作でキューレヘルトが近付いてくる。
『あの女は……その子の母は自由民への協力を拒み……そして死んだ。今、その歌が使えるのはそ
の赤ん坊しかいないのよ! 渡しなさい!』
もはやはいずるような動きでありながら、キューレヘルトがブラーマたちへと手を伸ばす。
ブラーマが思わず息を呑んだ、その時だった。

その腕を、一機の奏甲ががっしと掴んだ。
『やって……くれたな……』
「レグ!」
キューレヘルトの腕を掴み取っていたのは、レグニスのファルベだった。
『ちっ、傀儡歌が無力化されたか!』
苦々しく叫ぶと、残る力を振り絞るようにして腕を振り解き、ファルベから距離をとる。
だがレグニスが正気に返ったことで、数の上では逆転した。
『……覚えておきなさい、次は必ずその赤ん坊を渡してもらうわ』
そのことを十分に理解しているのか、リエアは捨て台詞とともにキューレヘルトを夕闇に後退させ
ていった。
『ぐ……逃がすか……』
「追わなくていい! それよりレグ、大丈夫なのか!?」
後を追おうとするレグニスを、ブラーマが引き止める。
ややあって、ファルベのコクピットが音を立てて開放された。
レグニスが、ゆっくりと姿を現す。
「少々頭痛がするが……この通り平気だ」
「そうか……よかった……」
顔を見たことに安堵したのか、ブラーマは気が抜けたようにその場にへたり込んだ。
いつの間にか、コニーは泣き止んでいた。


「あの小娘と現世人……ふざけた真似を……」
キューレヘルトを進ませつつ、リエアは怨みにまみれた言葉を吐き出した。
すでにあの町から大分離れ、日も完全に落ちている。
「……!!」
不意にリエアは機体を停止させた。
目の前にいつの間にか、一機の奏甲がたたずんでいたのだ。
『自由民、リエア・ケリアスだな……』
「臆病者の現世騎士団が、わたしになにか用かしら?」
目の前の奏甲……メンシュハイト・ノイへと皮肉めいた口調で言い返す。
『くくく……おれにはどうでもいいんだが、お前の『歌』を嫌がる奴が我が隊には多くてな。悪い
が始末させてもらおうと思ってな……』
「現世人ごときが!」
リエアが叫び、マシンガンを構える。無力歌の影響はすでになく、その動きに乱れはない。
だが、銃口の先にはすでにメンシュハイトの姿はなく、ただ小さな光が尾を引いていた。
「!!!」
『遅いな。そんなんでよく生き残ってこれたな』
響く声は背後から。振り返る暇もなく襲い掛かる衝撃に、キューレヘルトが横倒しになる。
「くっ!」
慌てて機体を立て直そうとするも、メンシュハイトは胸部を押さえつけるように踏みつけている。
『それにお前は、オレの大切なオトモダチにちょっかい出したからな。報いをうけてもらうぜ』
星明りの下で、メンシュハイトがゆっくりと右腕を掲げる。その手に持つのは、切断を目的とした、
本来武器ではない工具……チェーンソーだ。
スイッチが入る。独特の、恐怖感をあおる駆動音とともに刃が回転を始める。
「ま、待って。なんでもする……だから……」
『死〜ね♪』
悲鳴も何もかも、引き裂かれる奏甲とチェーンソーの奏でる歌の前にかき消されていった。

キューレヘルトとその操縦者の残骸が発見されたのは、翌日のことだった。


「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
コニーはひたすら泣き喚いていた。
あれから数日。ようやくたどり着いた首都にて、当初の予定通りコニーを預けようと孤児院に来た
のはいいが、係の女性にコニーを渡そうとしたとたん、泣き出してしまったのだ。
「コニー……わかってくれ、ここでお別れなんだ……」
「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
なだめようとするブラーマの声も届かないのか、コニーは激しく泣きじゃくる。
その小さな手は、ブラーマの服をしっかりとつかんだまま、離そうとしない。
「私は……お前の母親じゃないんだ……もう、一緒には…いられないんだ」
ブラーマの声も、次第に上ずってくる。顔も、今にも泣き出しそうなほど歪む。
「コニー……さよならなんだ……」
「ふぎゃあ! ふぎゃあ!」
それでもなお、コニーは激しく泣き続ける。ブラーマも、もう声が出せない。
そのとき、コニーの頭に軽くかぶさるように手が置かれた。
「……お前は、どうしたいんだ」
コニーの頭に手を置いたまま、レグニスは静かにたずねた。
「お前の人生だ。俺やブラーマがどうこう言う問題ではない。だからお前自身が選べ。お前の居た
い場所をな」
「ふぎっ……ひっぐ……」
コニーが泣き止む。そしてその涙で濡れた瞳でレグニスを見上げると、片方の手をのばし、レグニ
スの服の袖をつかんだ。
「あ〜、あ〜う〜」
レグニスとブラーマ。両方の服をつかんだまま、コニーはぎゅっと力を込める。
まるで引き離されたくないといわんばかりに。
それを見て、孤児院の係の女性が薄く微笑んだ。
「では、書類をお持ちしますね」


「あ……戻ってきましたよ。やっぱりコニーちゃんを連れてます」
「え? あ、ホントだ」

「ルルカ殿に優夜殿、すでに旅立たれたと思っていたが……」
「な〜に、ルルカがどうしても気になるっていうんで、ちょっと残ってただけさ」
「そうか……ではそろそろ行かれるのか?」
「まあね。なんてったって住所不定無職だし、オレ達。その名に恥じぬよう、ふらふらしないと」
「まずその状態を恥じてください……」
「……無駄だな」
ため息をつくルルカにあわせるよう、レグニスがつぶやいた。
「そうだ、お二方にも改めて紹介しておこう」
ブラーマは小さく微笑むと、コニーを二人へと向け、言った。
「コーニッシュ、愛称はコニー。私の『娘』だ!」



「……報告書とお探しの資料、お持ちしました」
「ご苦労さん。報告書はその辺にでも置いといてくれや」
「それと例の赤ん坊ですが、やはりハンプホーンが引き取った模様です」
「そうかい……、まぁたいして気にすることでもないがな」
「しかしよろしいのですか? あの赤ん坊は使い方によっては我々の切り札にも……」
「やめとけ。どうせ能力を使いこなせるようになるのにあと十年以上かかる代物だ。おれ達にそん
な悠長に構えてる時間はないだろう?」
「わかりました。では、こちらが資料です」
渡された紙には、英雄の名が三名ほど書かれていた。
『天凪 優夜』 『紅野 桜花』 『新見 忍』
ここ最近、ハンプホーンと接触のあった英雄達の能力をまとめた資料だ。
「くくく……どいつもこいつもいい面構えじゃないか……」
資料に目を通しつつ、低く笑う。
「さて、この幻糸乱れる異世界を生き延びるのは、おれか、ハンプホーンか、もしくはこいつらの
内の誰かかな」
ランプの光が、不気味に部屋を照らし出している。
「この世界、まだまだ、楽しめそうだ……」


育成編 終わり

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