歌が流れる。 岩場が広がる谷の入り口に似つかわしくない、ゆったりとしたメロディー。 それは奏甲を動かすための織歌ではなく、まるで子供をあやすために母親が歌う歌のようであった。 事実、その歌は子供のために歌われていた。 谷へと歩を進めていく一台の奏甲、その肩に乗る少女の腕に抱かれた小さな命。 そのはかなき存在へと紡がれる歌は、岩の間を吹き抜ける風と共に谷の空へと流れていった。 覚醒編 前編〜遭遇〜 『随分とご機嫌のようだな』 奏甲の重厚に響く足音に交えて、ぽつりとレグニスはつぶやく。 その言葉に、奏甲の肩に乗るブラーマは歌を止めると機体の頭部へと顔を向けた。 「……そう見えるか?」 『まあな。よっぽどうれしいのか?』 「当たり前だ! お前にはわからんのか!?」 叫ぶ声も非難というよりはどこか笑みのようなものを含んだものに近い。 こらえきれない喜びがあふれ出すかのようである。 その原因は、彼女の腕の中……先ほどまで歌を聞かせていた、小さな命にあった。 「あ〜、あう?」 歌が途切れたことを不思議に思ったのか、その命……コニーがあどけない顔つきでブラーマを見上げ、 そしてはっきりと口にした。 「ぶやっ?」 その途端、ブラーマの表情が一気に緩んだものとなる。 ブラーマはまさに世界で一番大切なものといわんばかりの調子でコニーを抱き上げ、その頬にほお擦りした。 「そうだぞコニー。私はブラーマ、お前の母親だ!」 「きゃっきゃ、ぶや〜〜」 「ううう……可愛いやつめ!」 『……………』 はしゃいだ声をあげるコニーに、うれしそうにブラーマが笑いかける。 その姿は少女でありつつも、すでに立派な母親のそれでもあった。 そんな二人を他所に、レグニスはいつも通りの無言のまま歩を進める。 正直なところ、レグニスは内心呆れていた。 片言ながらもコニーがしゃべりだしたのは、もう5日ほど前の事である。 その時のブラーマの喜びようといったら……まさに大騒ぎとしか言いようが無かった。 それから数日が過ぎた今とてなお、この状態だ。 一応、ブラーマのうれしさは自分もわかっているつもりだ。だがこのかわいがりっぷりは、少し頭を冷やした方がいい気もする。 まあ結局、ブラーマとコニーが幸せならばそれで特に言う事はないのではあるが…… 「うう〜、れう!」 「ほら、レグ。お前も呼ばれてるぞ」 『……わかったからもう少し落ち着け』 「ぐっ……そ、そんなに浮かれてなどいないぞ、私は!」 普段よりも幾分か声の調子を落として言うレグニスに対し、多少自覚はあったのか、声を詰まらせつつブラーマが反論した。 『そうか。わかっているならいい』 特に追従する事もなくレグニスは短く答えると、再び黙して岩場の道を進む事に専念し始めた。 奏甲の足が岩と枯れ木に囲まれた谷場に作られた道を踏みしめ、きしむ足音を立てる。 慎重に、機体の振動を出来る限り抑えつつ、それでいて速度も落とさずにレグニスは進んで行った。 しばらくそうして進んでいくと、道が二手に分かれた部分へと差し掛かった。 レグニスは機体の足を止めると、周囲を見渡す。 古びた立て札が道の脇に立てられているのを見つけたものの、文字がかすれていて読めそうに無い。 『これは……』 「まて、今地図を出す」 片手で器用に赤ん坊を抱えたまま、ブラーマが腰のポーチから地図を取り出した。 にらめっこする事しばし、ブラーマは顔を上げると向かって右側の道を指差した。 「うむ、こっちだ。この道からリーズ・パスを越え、ファゴッツへと向かう事が出来る」 『了解した』 ※ ※ ※ 事の発端は、数日前の夕食の席での事だった。 「ファゴッツランドに向かう?」 コニーの口の周りを布で拭いてやりつつ、ブラーマがオウム返しに聞き返した。 それに対し、レグニスは軽く首肯した。 「そうだ。この世界で一番の商業都市だそうだからな」 「確かにそうであるが……一体どういう風の吹き回しなのだ?」 ファゴッツの首都、ファゴッツランドは確かにアーカイア随一と言っていい商業都市である。 さまざまな物資がここに集い、いろんな土地の物を買うことが出来る。 だがそのファゴッツの国土の大半は砂漠だ。 それを越えていくのは、自分達はともかくとして赤ん坊であるコニーには相等厳しいものとなるだろう。 「何か欲しい物でも出来たというのか?」 「まあ、そんなところだな。厳密に言えば『物』ではないが」 「……どういう意味なのだ」 「俺が欲しいのは『情報』だ。それも現世騎士団……特に奴に関するもののな」 「!!!」 小さく息を呑む音と共にブラーマの手が止まる。コニーが不思議そうな目つきで母親を見上げた。 「今まで俺たちは後手に回ってきた。これまではそれでも何とかしのいで来れたが、これからもそうだとは限らん。 こちらからも行動を起こし、少しでも状況を有利に仕向ける必要がある」 「だから、あの男の情報を得ようというわけか」 「ああ、商業都市ならば情報も集まりやすいだろう。それに元々奏甲戦では奴に一日の長があるからな。 出来れば機体の性能を含めた詳細な情報が欲しいところだ。これからのためにもな」 「……あいつを、倒すのか?」 声を潜めるようにしてブラーマが訊ねた。レグニスが一瞬、口ごもる。 長引く沈黙の後、レグニスが静かに言った。 「……いずれ倒さねばならない。奴がこれ以上、俺達に執着するというのならばな」 「そうか……」 ブラーマが呟き、やがてどちらからかともなく言葉を閉ざす。 宿場の夕食時の喧騒だけが、黙り込む二人を包んでいった。 ※ ※ ※ 「れ〜う、れう!」 「ほらほらレグ、呼ばれたらちゃんと返事をする」 『ああ、コニー。わかっている』 「だぁ〜〜う!」 うれしそうに声をあげるコニーの頭をブラーマが優しく撫でた。 気持ちよさそうに目を細めるコニー。それを受けてブラーマもまた微笑んだ。 その姿に、なぜかほんわかと暖かくなるような、そんな不思議な感覚がレグニスの胸の奥に湧き上がった。 「……レグ?」 怪訝そうにブラーマが声をかける。いつの間にか足を止めて見入っていたようだ。 「どうかしたのか、急に立ち止まって」 『なんでもない。気にするな』 口早に会話を打ち切ると、レグニスは再び歩き出そうとし…… 不意にその動きを止めた。 「また立ち止まって、一体どうしたというのだ?」 『……前方先に奏甲の残骸がある』 奏甲の目越しのレグニスの視線。その先には一台の大破した奏甲が打ち捨てられていた。 周囲を良く見れば、戦闘の痕跡もそこかしこに見受けられる。 どうやらその奏甲は、戦闘の末に撃破されたもののようだ。 レグニスは周辺に気を配りつつ、ゆっくりとその奏甲に歩み寄った。 機体はローザリッタァの系統のもののようだ。奏甲のマーキングなどから察するに、自由民の所属と思われる。 だがそれ以上にレグニスの気を引いたのは、その損傷の具合だった。 ボロボロに引き裂かれた外部装甲、手足はねじ切られ、骨格フレームの大半が砕かれている。 ここまでやられては、機体の修復はほぼ不可能だろう。 「……搭乗者は……死んでいるのか?」 『いや、気配を感じる。生きてはいるようだな』 おそるおそる尋ねるブラーマに、レグニスは機体の首を振って答えた。 だがこの胴体部の損傷度もひどく、ハッチが完全にねじれてしまっている。 普通の方法では開けられそうにない。 そう判断したレグニスは大破した奏甲のコクピットハッチを掴むと、力任せに引きちぎった。 響き渡る破砕音に、微かだが悲鳴のようなものが混ざる。 無理矢理解放されたコクピット、その中には一人の娘が身を縮めるようにして納まっていた。 『……聞く義理も理由も無いが、一応聞いておこう。何があった』 「あ……あ……」 尋ねてみるも、ぱくぱくと口を動かすだけで要領を得ない。 「そんな聞き方では無理というものだ。レグ、ここは私に任せてくれ」 言うが早いか、ブラーマはコニーを抱えたまま奏甲の肩からするすると降りると娘へと駆け寄った。 「ひいいっ!!」 「おびえなくても良い。私達は何もしはしない」 「だぁだぁだぁ」 「ほら、コニーもそう言っているぞ」 「…………あ…………」 「はじめまして。私はブラーマ。そしてこの子はコニーだ」 「うきゃ〜、う?」 「コニーが聞いているぞ。『ここで何があったのか?』だそうだ」 「……けて」 「なに……?」 ごく僅かに呟かれた言葉に、ブラーマは眉根を寄せる。 そんな彼女に向けて、大破した奏甲に乗っていた娘は叫ぶようにして言った。 「お願い、わたしの仲間たちを助けて!」 その娘は自分を自由民の一員といった。だが他の過激な一派とは異なり、蟲からの自衛を目的とした集まりとのことだ。 彼女の部隊は蟲退治のために各地を転々としており、フリーの英雄のような働きをしているという。 そしてこのたびは大陸南部の村から報告を受け、南下のためにこの峠を越えようとして…… それに遭遇した。 現世騎士団の者、と名乗ったその奏甲は見た目からして異常だった。そして強さも。 たった一機のはずなのに、部隊の仲間たち全員でかかっても手も足も出なかったのだ。 ただ、彼女自身はそんなに操縦がうまい方ではなかったという。部隊の中でも真っ先に倒されたのが彼女の機体だったそうだ。 結果としてそれが幸いだったのだが。 「もうみんなだめかもしれない……でも……」 震える体を必死に抑えつつ、すがるような目つきで訴える娘。 それを見てなお、断れるような冷たさを持ち合わせてはいなかった。 少なくとも、ブラーマは。 『言っておくが、調査だけだぞ。それ以上深入りするつもりは無い』 「わかっている。だがせめて生死の確認ぐらいはしてやりたいのだ。あの娘のためにも」 谷を通るわき道をレグニスは慎重に、周囲に気を配りつつ通り抜けていく。 道のあちこちに見受けられるのは、弾痕や奏甲の足跡、そして機体の一部と思われる破片の数々。 戦闘が行われた証拠であり、これをたどっていけば自然と娘の仲間のところへと行き着けるはずだ。 それが生き延びているにしろ、すでに倒されているにしろ。 「それにしても、あの娘、大丈夫であろうか? 先に谷を出るように言っておいたが……」 『あのままにしておいたり、連れて行くよりかは幾分かはマシだろう。……それよりも、気をつけておけ』 次第に道幅が広くなってきた。戦闘の痕跡もより激しさを増している。その先にあるのは、窪地の様だ。 レグニスの『勘』が少しずつ警告の音をかなで始めた。何かがある。 周辺への気配を出来る限り探りつつ、レグニスは窪地へと踏み込む。 そしてその目の前に広がる光景に思わず身を固めた。 いくつもの奏甲が屍のようにあたり一面に倒れ付している。どうやらあの娘の仲間のもののようだが、 そのすべてが全身を銃撃によって打ち抜かれたり、ずたずたに切り裂かれたりしていた。 だがレグニスが硬直したのは、それらの悲惨な惨状にではなかった。 窪地の中心、破壊された奏甲の一つに腰掛けるようにして座っている一機の奏甲。 そしてその奏甲の主であろう男の姿に。 「……よう、ハンプホーン。こんなところで会うとは奇遇だな」 『ブレッグ、貴様か……』 相も変わらずどこか他人を小ばかにしたような口調で言うブレッグに、レグニスは唸るように呟く。 その言葉を受けて、ブレッグはさらに浮かべた笑みを深いものとした。 レグニスは僅かに苛立ちのようなものを覗かせると、肩に乗っていたブラーマを地面へと下ろす。 深入りはしたくないところだったが、相手がこいつであった以上、逃げることは出来ないだろう。 『今のうちに離れていろ。できるかぎりな』 「大丈夫なのか? 少し卑怯な気もするが、今のうちに一気に……」 『無理だな』 確かに操縦系に適した改造を受けたブレッグは、奏甲の操縦に関しては規格外といっていい程の力を発揮する。 だが今は奏甲に乗っておらず、見た感じは油断しているといっていい。 しかしレグニスにはわかっていた。ブレッグは一見リラックスしているように見えるが、先ほどから全く隙を見せていない。 そして奴がその気になれば、一足飛びで奏甲に乗り込むことが可能だという事も。 『いいから下がれ。このまま戦うわけにはいかん』 「わかった。……気をつけて」 走り去るブラーマに背を向け、レグニスは再びブレッグの方へと向き直る。 その際に、僅かに周辺……破壊された奏甲たちをちらりと一瞥すると、 「……これは貴様がやったものだな」 「まあな。こいつら以外にも三部隊ほど壊滅させてやった。この機体の慣らし運転がてらにな」 「その奏甲、新型か……」 ブレッグの背後に控える奏甲は、今まで見たことも無い型だった。 毒々しい赤と黒のカラーリング。ごつごつと角ばった外殻。そして頭部には両の目の他、額に複眼らしきものがある。 レグニスの知る限り、このような奏甲は見たことが無かった。 「それが以前に言い残した、俺を焼くための『焔』か」 「ああそうだ。オレ専用の改造メンシュハイト・ノイ、鬼焔だ」 「それにしては基となった機体とは随分と違うようだな」 「改造された機体ってのはえてしてそういったモンさ。それが個人に合わせたものであるほどにな」 ブレッグの雰囲気が変わる。今までのどこかからかっているような気配が消え、眼光が鋭さを増していく。 「こいつはオレの『狂気』を形にしたものだ。戦いのたびにオレの内に湧きあがる焔にも似た熱情。鬼神のごとき残虐性。 それを目に見えるように現した機体がこいつだ」 「狂気……か」 「くくく……所詮兵器なんてものは開発者か使用者、いずれかの狂気が混ざってるものさ。無論オレたち自身も、な」 レグニスは以前と同じように答えなかった。 否定は出来ない。それはレグニス自身もよくわかっている事だからだ。さりとて肯定する気もまるで無かったが。 「そんな狂気から生み出されたオレたちが、さらに巨大な狂気を持って全てを破壊する。まったくもって滑稽だぜ。 ……さて、そろそろ始めるとするか。お前の歌姫も充分に離れたところだろうしな」 失笑とも嘲りとも取れる笑みと共に、ブレッグは背後に控える鬼焔のコクピットへと飛び乗った。 レグニスも機体に装備されていたナイフを抜くと、<ケーブル>を通してブラーマに呼びかける。 「いくぞ、ブラーマ。気を抜くな」 《わかっている、相手はあいつだからな》 すでに準備を整えていたのか、<ケーブル>越しに響く声も力強い。 だが次の瞬間、<ケーブル>を震わせた『それ』に、二人は絶句する事となった。 ゆっくりとした動作で立ち上がる赤と黒の狂気を纏った奏甲。 それを支えるかのごとく流れてくるのは、紛れも無い織歌の響き。 間違いない。ブレッグを補佐する歌姫がいるのだ。 『さて……ついでだ。見せてもらうぜ、お前の持つ《狂気》もな』 機体の双眸と、額の複眼が笑みにも似た輝きを放つと同時に、鬼焔は地を蹴った。 続く