通常の奏甲では考えられないような加速と共に、鬼焔が走る。 赤と黒の装甲に描かれた、『鬼』と『焔』の文字が一瞬にしてレグニスの機体との間合いを詰めた。 その動きは以前の機体と比べても、数段速い。 《レグ! 来るぞ!》 「…………」 鋭く響くブラーマの警告。だがその言葉が発せられた時にはすでにレグニスは動いていた。 流れるような無駄の無い動きで、大型ナイフを敵の攻撃の軌道へと割り込ませる。 甲高い音と火花が舞い散り、振り下ろされた鬼焔のチェーンソーを打ち払った。 攻撃をずらされたためか、それとも衝撃のためか鬼焔の体勢がわずかに揺らぐ。 その隙を逃すまいと、レグニスは返す刀で鬼焔へと突きかかった。 切っ先が鈍い光を放ちながら吸い込まれるように胴体部目がけて走る。 『おおっと……』 その刃が食い込むより僅かに早く、ブレッグが後ろに跳び退った。 突き刺すものの無くなったナイフを、レグニスは素早く引き戻し、構えなおす。 『いい反応だ……やっぱり戦いはこうでなくちゃな。弱いものを潰すのもまた限りなく楽しいが、 ギリギリの命の削りあいはこう……たまらないものがあるぜ』 「そんなことは知らん」 おそらくは笑っているであろうブレッグの言葉に、レグニスは冷たく応じた。 少なくとも、こちらには笑っていられる余裕は無いからだ。 覚醒編 後編〜再確認〜 《まさか……あいつに歌姫がいたとは……》 「宿縁を見つけたか、それとも他の歌姫を使っているのか……いずれにしろはっきりしていることは、 これでこちらのアドバンテージが一つ減ったという事だ」 操縦に特化した能力という明らかに相手に有利な点がありつつも、今までブレッグの猛攻をしのいでこれた理由の一つとして、 レグニスとブラーマの絆の深さから来る、高いリンクと連携にあった。 だが今、ブレッグは理由はどうあれ歌姫を連れている。 それによって埋まる差は絶対的ではないが、決して無視できるものではない。 『さて、今のはほんの小手調べだ。次はちょいとばかし本気で行くぜ』 いくばくか声の調子を落としつつ、鬼焔が力を蓄えるかのように腰をかがめた。 攻撃の予感にレグニスも構えを取り直す。 鬼焔が再び地を蹴る。それと同時にレグニスも動いた。 鋭い打ち合い。チェーンソーと大型ナイフが一瞬の火花を散らし、それが消える間も無く両者は再び距離をとった。 二機は互いに間合いを計りつつ、旋回を続ける。 通常の奏甲の速度の数倍はあると思われる動きで、鬼焔はレグニスの機体の死角へと回り込もうとする。 だがレグニスとて並みの人間ではない。巧みに動きやリズムを変えつつ、逆に鬼焔の背後へと回りこんだ。 すかさずレグニスはナイフを鬼焔の背へとつきたてようとし…… 「!!!」 『見ーえてるぜっ!』 その後頭部に鈍く光る二つの複眼を見つけた。 そしてその背に担がれていたはずのガトリングガンが、いつの間にか肩越しにこちらへと銃口を向けていた事に気付く。 轟音と共にガトリングガンが銃弾をいっせいに吐き出した。 かろうじて回避は試みたものの、避け切れなかった数発が装甲表面を砕き、機体に破壊の牙をむく。 《レグっ!》 ブラーマの叫びが伝わるが、今はそれに答えてやる余裕は無い。 ダメージは受けた、だがそれは決して致命的なものではないのだ。むしろこれをチャンスとするべし。 レグニスは回避運動していた機体を即座に反転させると、肩口から鬼焔に体当たりさせた。 『ぐおぁ!?』 横合いからの勢いに乗った体当たりに、鈍い衝突音を響かせつつ鬼焔が吹き飛ぶ。 さらにレグニスは流れるような動作で炸薬ダガーを抜き、追い討ちに投げつけた。 このタイミング。どう見てもかわすことは不可能。そう見えた。 『……歌え、エルミア』 《……鬼神……賛歌……》 <ケーブル>を響かせるか細い歌声。 次の瞬間、鬼焔はくるりと機体を反転させたかと思うと、何も無い虚空を蹴って上空へと舞い上がった。 炸薬ダガーはその足元を抜け、後方の岩壁に当たって爆炎を巻き上げた。 流石のレグニスも物理を越えたその動きに多少動揺しつつも、再びダガーを抜き、上空の鬼焔へと狙いをつける。 だが再び鬼焔は虚空を蹴り、その反動で機体を真横に振った。 レグニスは僅かに歯噛みしつつ、狙いに集中する。鬼焔はさらに何も無い空中を足場に跳ね回っている。 いや、違う。何も無いわけではない。 鬼焔の蹴った空中、その部分になにかわずかに光る物体がある。 それは板のような形状の、色の無い平べったいブロックのような物質だった。 「あれを足場にしているのか」 《あんなものをどうやって…………先ほどの歌術か!》 『ひゃっは! ご名答だ!!』 哄笑を響かせつつ、件の物質を蹴って空中より鬼焔が急襲してくる。 レグニスは炸薬ダガーを持ち直すと……自らの足元に突き立てた。 爆音と共にいっせいに粉塵が巻き上がる。 『おおっと!?』 鬼焔は空中で身をひねると同時にブースターを作動。立ち込める粉塵に突っ込む手前に軟着陸した。 その瞬間、砂煙を突き破ってレグニスのシャッテンが姿を現した。反射的にブースターで急速後退を試みる鬼焔。 交錯する機体。大型ナイフが銀の軌跡を描いて鬼焔へと走る。 鈍い音と共に腕に響く手ごたえ。 レグニスの振るった刃は、鬼焔の右肩から左肩にかけて真一文字に切り裂いていた。だが…… 「浅いか……」 感触から察するに、装甲の外側しか切れていない。追撃を与えようにも、鬼焔はすでに間合いを充分に離していた。 もとより先のチャンスで仕留められるとは思っていなかったが、やはり損傷を与えるのも一苦労のようだ。 『くくく……ははは……いいぞ、強いぞハンプホーン』 損傷を受けたことなどまるで気にもせず、むしろ先ほど以上に闘志や殺気をみなぎらせつつブレッグが笑う。 その笑いに呼応するかのごとく、周辺の空気が歪み、次々と例の足場が出現する。 『もう少し、もう少しだけ本気を出す。付き合ってくれよな』 徐々に膨れ上がるプレッシャー。現れる無数の足場と共に周囲を満たす、異様なまでの圧迫感。 『いいか、死ぬなよ。この程度で死ぬんじゃねぇぞーっ!!』 咆哮し、鬼焔がガトリングを手に地を蹴って舞い上がった。その先に浮かぶのは、歌術で生み出されたブロック群。 瞬間、殺気が爆裂し、一気に広がると空間を支配した。 危険を察知し、レグニスが機体を横っ飛びに飛びのかせる。 それにわずかに遅れて、機体のあった位置目がけて四方から銃弾が降り注いだ。 追いすがるような銃撃から回避運動を続けつつ、レグニスは敵の気配を探る。 だがいまいちうまくつかめない。それもそのはず、相手は空中で足場を蹴りつつ高速で飛び回っているのだ。 この一帯を包むように存在する足場、機体の各所に設けられたブースターとブレッグの異常なまでに高い空間認識能力。 それら全てがあわさったからこそ出来る戦法だ。その動きはとても常人に捕らえられるものではなかった。 さりとて諦めるつもりなどレグニスには毛頭無い。捕捉できないならば出来るようにするまでだ。 銃弾の雨の中、レグニスは残る2本の炸薬ダガーを抜き放つと、空中に広がる足場目がけて左右に投げつけた。 爆炎が吹き上がり、足場たちを一瞬にして飲み込む。 だが鬼焔にはダメージは無かった。ダガーが爆発する寸前、空中から地面へと退避したのだ。 しかしレグニスにとってそれこそが狙いだった。いかなブレッグとて着地した瞬間は無防備のはず。 吹きすさぶ爆風の中を、レグニスは流れるように走り抜け、鬼焔へと肉薄した。 鬼焔はほとんど反射的にチェーンソーを振るう。 横薙ぎに繰り出されたその一撃をレグニスはかがみ込むように体勢を低くし、かわす。 そのときすでにレグニスは鬼焔を間合いに捕らえていた。それに加えてこのタイミング、もはやかわす事は不可能だ。 右手に握られた大型ナイフが鋭い輝きを放ち、鬼焔の胸部目がけて突き入れられ…… 『見えてるっていってるだろ、ハンプホーン!』 ナイフがとどくよりも早く、繰り出された膝蹴りがレグニスのシャッテンの胸部へと突き刺さった。 胸部装甲が砕け、衝撃に浮き上がった機体にさらに肘が打ち据える。 頭部を殴打され、さらに姿勢が崩れる。そのシャッテンを鬼焔の放った拳が直撃した。 轟音と共にレグニスのシャッテンは吹き飛ばされ、岩壁へと叩きつけられる。 《レ、レグっ!!》 ブラーマの悲痛な叫び。それに答えるようにシャッテンはわずかに腕を動かすも、力尽きたようにその動きを止めた。 レグニスはシャッテンのコクピットの中でゆっくりと目を開いた。 視界が赤い。レッドアウトかはたまた目に血が入ったのか。 いずれにしろ世界は赤一色だった。そう、自分の前髪と同じ…… (それ……た…に与え………選…肢で……、枷……だよ) 不意に脳裏に蘇る声。ぼんやりとしてはっきりしないが、確かに聞き覚えのある声。 『どうした、ハンプホーン。それで終わりなのか?』 《レグっ、答えてくれ! 返事をしてくれ!!》 身を起こそうともがくが、どうにも意識が定まらない。 ブラーマの声もブレッグの笑いも聞こえるものの、どこかひどく遠く感じる。 (それは君たちに与えられた選択肢であり、枷なんだよ) ただ、その声だけが次第に明瞭さを増していく。 混濁した意識の中、レグニスはふと思い出した。そう、この声には聞き覚えがある。それはこの世界に来る前に…… (そしてその髪はそれを忘れないための刻印。でもこれも覚えておくといい。決めるのは君たち自身だということを) 『見せてみろ、お前の持つ狂気を。このオレと同じ様に解き放って見せろ!』 《レグ! もういい、逃げてくれ。このままでは……》 (自分の意思で解き放つのか、他者に迫られるのか、その決断がどんなものかは僕にもわからない。 ただ願わくは、それが君たちが望んで決めた事だといいね) 「………ぉ………」 『……見せないまま死ぬ、か。まあいい。それも一つの選択だ』 《!! レグ! いやだ、死なないでくれ!!》 「……ぉぉ……」 『じゃあな、ハンプホーン』 (それがもし、自分以外の誰かを守るためだとしたら……ボクはとてもうれしいよ) ブレッグの言葉に記憶の言葉が重なる。 その瞬間、レグニスの中で忘れられていた『それ』がはじけた。 「おおおおぉぉぉっ!!」 突如咆哮と共にレグニスのシャッテンが跳ね上がり、接近していた鬼焔へと襲い掛った。 そのあまりに唐突な動きにブレッグはわずかな驚きを見せたものの、対応は冷静だった。 後方へ飛びのくと同時に前面ブースターを作動、急速に間合いを離そうとする。 だが、レグニスはそれに追従した。 『なんだと!』 まさにありえないとしか言えない動きだった。 鬼焔はその脚力を体の各所にあるブースターで補助する事により、通常の奏甲を遥かに越えた速度で動く事が出来る。 しかしレグニスのシャッテンはそのような補助もなしに今、鬼焔へと追いすがっているのだ。 舌打ちしつつ、鬼焔は左手に持つガトリングの引き金を引いた。 激しい銃撃音と共に大量の弾丸がばら撒かれ、レグニスの機体へと襲い掛かる。 が、無数の銃弾が引き裂いたのは何もない虚空。 『かわしただとっ、あのタイミングでか!!』 驚愕というよりは感嘆に近い叫びを上げつつ、鬼焔は旋回し、再び銃口をシャッテンへと向けた。 その銃口が、シャッテンの手によって押し退けられる。 鬼焔が旋回したわずかな時間を利用してレグニスはすでに距離をつめていた。 そこはすでにナイフの間合い。 反射的に鬼焔が右手のチェーンソーを振り下ろす。 だがレグニスはさらに踏み込み、回転する刃が身に届くよりも早く、手首の部分を肩口で受け止めた。 そしてその腕に素早く手を添え…… ぐしゃりという鈍い破砕音と、砕けた部品があたりに舞い散る。 『は……はははっ!!』 折り取られた右腕から部品をばら撒きつつ、哄笑と共に鬼焔が身を離す。 『やるじゃないか、ハンプホーン! それがお前の狂気か! いいぞ、すばらしくいいぞ!!』 叫ぶブレッグを無視し、レグニスは鬼焔の右腕を投げ捨てた。 奴の戯言に答えてやる必要は無い。必要なのはただ倒す事だけ、そして今の力ならそれが出来る。 なぜならば、『思い出した』からだ。 レグニスは凶暴な確信と共に、再び間合いを詰めようと身をかがめ…… その膝ががくりと崩れ落ちた。 「!?」 わずかな動揺の後、全身を悪寒と痺れ、そしてすさまじいまでの疲労感が襲う。 抵抗を試みるも、まるで体が動かない。 「……う……ぐっ……」 『反動か? どうやら長い事使ってなかったみたいだしな。そうなるのも当然……』 《ああああぁぁぁーーーっ!!》 ブレッグの言葉を遮るように、突如響き渡った叫びが<ケーブル>を震わせる。 《ああぁぁぁ………》 『ちっ、ダメージが逆流したか。こっちもどうやら限界だな』 忌々しげに舌打ちを響かせると、鬼焔は後方に向けて大きく跳躍した。 『今日はここまでだ。だが収穫はあったな、お前の狂気だ』 「………………」 『続きはいずれまただ。それまで死ぬんじゃないぞ』 まるで新しい玩具を見つけた子供のような、喜びに似た響きを含ませつつブレッグはそう言いうと、 機体ごと連なる岩山の向こうへとその姿を消した。 ※ ※ ※ ゆっくりと目を開く。少し薄暗い。 木造の部屋の中、質素なベッドの上に自分は寝かされていた。 他にほとんど家具はなく、そばにある机においてある燭台が、申し訳程度の光を放っていた。 「目が覚めたか」 半身を起こし、声のしたほうへと顔を向ける。ドアのすぐ横の壁にもたれかかるようにして、その男は立っていた。 「気分はどうだ、エルミア?」 「……良いように見えるかしら?」 「結構。まだまだ正常なようだな」 いつもながらの他者を小馬鹿にしたような響きを含ませつつ、ブレッグがうなずいた。 「褒めてるようには聞こえないのだけど?」 「褒めてるさ。宿縁抑制を受けながらまだそれだけ意識を保ってられんだからな」 その言い方に最近は少し慣れてきたものの、やはり少し勘にさわるものがある。 エルミアは憮然とした面持ちのままベッドから出ようとしたものの、がくりと片手を突く。 「無理をするな。今日は激戦だったからな、もう少し休んでな」 「あら、気遣ってくれるの? 意外と優しいところもあるのね」 「今お前さんに離脱してもらうと鬼焔が動かなくなるんでな」 極簡単にそう言い切ると、ブレッグは部屋のドアを開ける。 「……そばにいてくれもしないわけね」 「お前さんがあまりにいい女なんでね。そばにいると襲っちまうかもしれないからな。 ……何か入り用だったら呼べ。それまでは寝てろ、充分にな」 笑いに肩を揺らしつつ、ブレッグはその身を部屋の外へと移すとゆっくりとドアを閉める。 その背に向けて、エルミアはぽつりと尋ねた。 「あの英雄が貴方の捜していたものなの?」 「……まあな。おかげでまだまだ楽しくなりそうだ」 どこか狂気をにじませた答えと共に、ドアが閉じられた。 ※ ※ ※ 青い空にいくつかの白い雲が浮かぶのを、レグニスはブラーマの膝に頭を預けながら眺めていた。 「だぁ?」 横たわった体、その腹部の上に乗ったコニーが不思議そうに首をかしげ、レグニスの顔を覗き込む。 手を動かそうとしてみるが、やはり動かない。体中が疲れきっていた。 だがそれでも伝える事は伝えなければならない。ブラーマもそれを望んでいるはずだ。 そう思うと、疲れきっているはずなのに自然と口が開いた。 「……この髪の色は俺たちに与えられた力の証だ」 その言葉に、レグニスの髪……赤く変色した前髪の一部に触れていたブラーマの手がびくりと震える。 それにかまうことなくレグニスは言葉を続けた。 「人間はその力を三分の一ほどしか出せないようになっている。それは全力を出すと体が壊れてしまうからだ」 「………………」 「だから通常の人間は脳にリミッターが存在し、全力が出せないようになっている。……だが、俺たちは違う。 手術と薬物で増強された肉体を最大限に生かすため、俺と二人の仲間は最後にある改造を受けた」 「最後の……改造?」 「脳の改造だ。それにより俺たちはリミッターを自由に操作できるようになった。 その時刻まれた刻印こそが……この髪だ」 やわらかく吹き抜ける風が全身を伝い、灰色の中で一房だけ血の赤に染まった前髪を撫で付けた。 胸の上でコニーが歓声を上げ、ブラーマが風になびく自らの髪を抑える。 「……必要とあらば自身を捨ててでも『性能』を引き出す。それが必要だった、俺たちには。 だが、いままでずっと忘れていた……こうまではっきりと、証が残っているのにもかかわらずな……」 「もういい、レグ……」 レグニスの独白を耐えかねたようにブラーマが遮る。その声は今にも泣き出しそうなほど震えていた。 そしてゆっくりと手をさしだすと、レグニスの頬へ優しくと触れた。 頬に伝う暖かい感触。体の上で笑うコニーの無邪気な重み。 それらを身に受けながら、レグニスはふと先ほど思い出した言葉を反芻していた。 (それがもし、自分以外の誰かを守るためだとしたら……ボクはとてもうれしいよ) (それは違うな……ラクノ) その言葉を自分に向けて言った、今は遥か別の世界にいる、自らの担当研究者に向けてレグニスは自嘲した。 (俺は……この力は守るためのものではない。そしてなにも守れはしない) 覚醒編 終わり |