夢のレプリカ 外伝  刃のこころ
 
これは新見さんの作品「終わりなき遁走曲〜夢のレプリカ〜」の四話目の途中に当たる作品です
 
 
「……そういったことらしい」
「そうか……」
レグニスの言葉にアールは静かに目を伏せた。その視線の先のベッドには忍が横たえられていた。
すでに腕の骨折は治療され、ただ昏々と眠っている。
「すまない、忍が妙なことを頼んでしまって」
「別に構いはしない」
ぶっきらぼうに言い放つと、用は済んだとばかりにレグニスは部屋の出口へと向かう。
「俺が『今』できるのは、ここまでだ。あとは自分達で何とかしろ」
そこでふと立ち止まると、ぽつりとつぶやくように言った。
「……できれば果たさずにすめばいいがな。約束を」
「ありがとう。……よい夢を」
アールの声を背に、レグニスはゆっくりと扉を閉めた。
 
 
(いつになく感傷に浸っているな……)
寝静まった宿の廊下を、足音一つ立てずに歩きつつレグニスはふとそう思った。
忍の話……科学に踊らされた者の、ちゃちなおとぎ話。
それに、自分の姿を重ねているのか。
あの研究所にてすごした日々。幾度にも重ねられた改造。繰り返される過酷な訓練。それによって
高められた、明らかに人とは異なる自分の力……
(くだらないな……)
自らの考えを、レグニスはその一言で斬って捨てた。
少しは似てはいるかもしれないが、自分はその話の者とは違う。
そう、兵器として作られた自分は、少なくともあれほど望まれた存在ではないのだから。
不意にレグニスは視線をめぐらすと、窓の外へと目をやった。
白く輝く月が、そのわずかな光を木陰から覗かせている。
「変わらないな……その光は……」
 
 
歩いていた。
生暖かく、粘つくような空気。鉄さびに近い臭いが、むせ返りそうなほど辺りに充満している。
一歩を踏み出すごとに、足元にどこまでも広がる赤い液体が、びちゃりといやな音を立てた。
頭上には、ただ月だけがその冷たい光を放っている。
まるで地獄かと見紛うばかりの風景。だが、彼にとっては慣れ親しんだ光景であった。
(懐かしいな……そう、俺はこんなところを歩いていた……)
この血溜りと月光の中を、自分はひたすら歩き続けてきたのだ。
 
どこまでも。たった一人で。
 
だが、はじめから一人だったわけではない。
 
『ハンプホーン・タイプ』
そう呼ばれる改造を受けた者は、当初は自分を含めて六人いたのだ。
月光とともに血溜まりの荒野を、自分達は六人で歩いていた……
 
 
「相変わらずの不景気なツラだな」
正面からかけられた声に、レグニスは顔を上げた。
そこには生意気そうに歯をむいて笑う、まだ子供といっていい少年が立っていた。
「別に問題は無かろう、ディブト」
「まあな。おれにとってはどうでもいいこった」
 
自信家でうぬぼれや。口も悪いが不思議と皆に嫌われることがない。
そんなディブトが死んだのは、十歳の時のことだった。
ハンプホーンは前線戦闘のための強化改造。それによって与えられる、人とは思えぬ力。
彼はそれに増長した。力を持つ自分は、選ばれた人間なのだと。
そして彼は研究所からの脱却を試み……反乱者として処分された。
 
生き残った五人が学んだこと。
『自分達は、しょせん道具でしかない』
 
「おれはちょっとばかし思量が足りなかっただけだ。気にするな」
 
 
「静かなる闇……貴方がそこに見出すのは絶望、それとも安らぎかしら……」
涼やかな声。それを発したのは、透き通るような銀の髪をした少女。
白き肌を月明かりがさらにか細く、はかなげに照らし出している。
「相変わらずだな、リリス。その言い回しは」
「言葉はかりそめ。伝えられるものには限りがあるのよ……」
 
兵器にあらざるはかなげな物腰と、その神秘を見つめるような瞳。
それを持つリリスが死んだのは、十三歳の時だった。
いかなあの研究所とて、改造手術を一度で済ますことは技術的に不可能。成長期の体にあわせ、ゆ
っくりと時間をかけて手術を重ねる必要があったのだ。
幾度となく繰り返される手術。改造は順調に続けられたかに見えた。
だがあるとき、手術中に彼女は拒否反応を起こした。
あっけなく、彼女は死んだ。
研究者の誰かが言った。「あいつは運が悪かったんだ」
 
残る四人が学んだこと
『運すら引き寄せなければ、生き残れない』
 
「わたしはほんの少し、運が悪かっただけ」
 
 
「随分と変わったね。君は。そう……優しくなったかな」
ゆっくりとした声の響き。その方向へと振り向いたレグニスの目に映ったのは、一人の少年。
少女と見間違えそうな柔らかな顔立ちに、少し悲しげな笑みを浮かべている。
「……さてな。どちらにしろ、お前ほど優しくはないと思うがな。グリア」
「それでも、僕はそれが少しうれしいよ……」
 
少し気は小さいが穏やかで、誰よりも優しい少年。
グリアが死んだのは、十五歳の時だった。
改造手術は肉体に本来とは違う力を植えつけるためのもの。
それゆえに拒絶反応が起こるのはいわば当然であった。
その反応を抑えるため、四人は特殊な薬を服用していた。
だが、薬を飲み続けているようでは兵器としては成り立たない。反応を克服するための手術ととも
に、次第に薬の量は減らされていった。
三人は問題なく薬から離れることができた。だが、グリアだけは違った。
激しい拒絶反応に襲われた彼は、ぎりぎりのところで一命を取り留めた。
だが、彼は薬を手放すことを極度に恐れるようになってしまった。
しばらくの後、彼が他の施設に送られたことを他の三人は聞かされた。
それが意味する、本当のことも。
 
残る三人が学んだこと
『心が折れれば、それまでである』
 
「僕は少しだけ、勇気がなかったんだ。気にしないで」
 
 
「ね、あなたは飛べた? この空を?」
ころころと弾むような声がレグニスへとかけられた。
たずねたのは一人の少女。明るく笑ってはいるものの、その内にわずかな寂しさを漂わせている。
風に漂う茶の髪。その前髪の一房が鮮やかな緑色に染まっていた。
「……俺に翼はない、ルニル」
「あなたって本当に、ストレートにとらえるわね」
 
いつも明るく、暖かであった少女、ルニル。
彼女が死んだのは、十六の時のことだった。
力はただ持つだけでは意味を成さない。扱うための技を学んで初めて意味を持つものである。
研究所で行われた過酷な訓練、機械や人間を相手にした、死を身近に置いた演習。
力を扱うため、技を学ぶために長い年月をかけてそれは繰り返された。
あるとき、三人はいつものように訓練を行っていた。
今まで通り三人は戦い、迅速に演習機を無力化した。
だが、停止したはずの演習機が、突如妙な振動とともに煙を噴き上げたのだ。
研究者の誰かが言った。「爆発する、離れろ!」と
二人は即座に離脱した。しかし、ルニルは一瞬だが迷ってしまった。
今まで演習機が爆発したことなど、一度たりともなかったのだ。
わずかなためらいが彼女を包んだその時、演習機は爆発し、彼女を巻き込んだ。
 
残る二人が学んだこと
『迷ったら、死ぬ』
 
「あたしはちょっとだけ、判断が甘かっただけよ」
 
 
「お前は弱い……でも強い。言っててワケわかんないけどな」
いつの間にか隣にいた少年が、そう言ってレグニスに笑いかけた。
どこかいたずらめいた光を瞳にもつ、黒髪の少年。その前髪の一部が、白く変色している。
「……ナオキ……」
「ワケわかんない。それがお前であり、オレ達なんだけどな」
 
お調子者にて切れ者。いかなる危機でも決して軽口を忘れない。
レグニスの最後にして最大の親友。ナオキ。彼は十七の時に死んだ。
改造研究は極秘で行われていた。だが、洩れぬ情報など存在はしない。
幾度となくスパイや侵入者が研究所に送り込まれてきた。
それらを始末するのもまた、彼らの仕事であり訓練の一環であった。
その日、生き残った二人は侵入者の排除を命じられた。
レグニスはG地区。ナオキはD地区へとそれぞれ向かっていった。
二人とも、さしたる問題もなく侵入者を殲滅した…………はずだった。
ナオキが始末したはずの侵入者、そのうちの一人が、かろうじて生き残っていたのだ。
最後の力でその侵入者が放った銃弾が、ナオキを貫いた。
通信機越しに銃声を聞いたレグニスがD地区に駆けつけた時、すでに手遅れだった。
 
最後の一人が学んだこと
『最期まで、油断するな』
 
「オレはちっとばかし油断しちまっただけだ。まぁ、気にすんなって」
 
 
こうして、血溜まりの荒野を歩くのは自分ひとりになった。
それでも足を止めることはできず、ただひたすらに歩き続けた。
そして運命の日。最終調節を控えた、あの日。
最後の一人は、その世界から姿を消した。
 
 
「……お前、もしかして負い目を感じてるのか? 生き残ったことに」
ディブトがたずねる。
「今さらぐだぐだ言ってもしょうがないだろ、そんなこと。おれたちは死んで、お前は生き残った。
あるのはその事実だけだ」
「……わかっている。だがそれでも俺は思う。生き残るのは俺ではなくナオキ、お前だったと」
「オレかい? 買いかぶるなよ」
肩をすくめて苦笑するナオキ。だがそれにかまわずレグニスは言葉を続ける。
「お前は俺より上だった、すべてにおいてだ。力、技、冷静さ、いざという時の機転、他者をひき
つける魅力、どんな時でも余裕のある心……生き残るべきは俺じゃなかった。より優れたる力を持
つナオキ、お前だったんだ」
「そんな基準、意味ないな。お前はオレにないものをちゃんと持ってるし。第一強くなければ生き
残れないなんて誰が決めたんだ?」
 
 
「……辛いんだったら、捨ててもいいんだよ」
静かにグリアが口を開いた。続くようにルニルがうなずく。
「そうね……ここはもうあなたのいた世界じゃない。いつまでも義務のように『ハンプホーン』の
名を名乗り続ける必要はないもの」
「その結果、僕達のことを忘れてしまっても、少し寂しいけれど我慢するよ。それで君が解放され
るって言うんならね……」
「わたし達は死者。死者が生者にできることなんて何一つないもの……」
歌うかのごとくささやくリリス。だがレグニスははっきりと首を振った。
「それはできん。この名は俺にとって義務でも形式でもなく、絆だからな」
「……絆……」
「そう、あいつと俺を結ぶのが『宿縁』という名の絆ならば、『ハンプホーン』の名は俺とお前たち
を結ぶ絆だ。この体とともにな。捨てる気などない」
「あいつ……彼女のことだね……」
グリアが薄く微笑むと、肩越しに振り返った。
 
すでにそこは血溜まりの荒野ではなかった。
吹き抜ける風に草が香りを乗せて流れる、どこまでも広い平原。月明かりも、温かみを帯びていた。
一本の木が、平原の中心で風に揺られて静かに佇んでいる。
その木の根元にもたれかかるようにして、彼女はいた。
腕に赤ん坊を抱いたまま、穏やかに彼女は眠っていた。
 
「いい娘じゃないか。頭もいいし、芯も強い。いろんなところでお前を助けてくれた」
「ああ。随分と助けられた……色々な」
「この世界に来て……僕達以外との『絆』を得て、君は本当に変わったよ。かすかに見えるその暖
かさは……彼女が与えてくれたものなんだね……」
「だが……俺が、俺だけがこのように……」
「生者が死者にできること……それは思い出すことと、嘲り笑うことだけ……」
「そうだよ、あなたが走り続けられるなら、あたしたちはそれで充分なんだもの」
 
 
「さて、そろそろ時間みたいだな」
 
「生き残れよ、これからも」
ディブトの姿が薄れ、消えていく。
「世界がお前を否定するって言うんなら、世界を相手に喧嘩を売れ。そんでもって勝ち残って、自
分の居場所を掴み取るんだ。そのための力も覚悟も、お前は持ってるだろ」
 
「彼女は蝶。あなたという闇を飛ぶ、白く輝く小さな蝶」
言葉とともに、リリスの体が次第に虚空へと溶けていく。
「でも気をつけて、花が無ければ蝶は死んでしまう。……とまらせてあげなさい。それがたとえ闇
にまぎれた黒い花だとしても」
 
「僕達はいつでも君を見守っているよ」
グリアが優しく微笑む。その笑顔もまた、風の中に消えていく。
「だから恐れないで。君にできることを精一杯やって、大切な人を護って。そして……時々でいい
から、思い出してくれるかな? 僕達のことも……」
 
「あたしは正直、あの娘がちょっとうらやましいかな」
ルニルの姿がぼやけるように空に溶けていく。
「あの時あたしが少しだけ持っていたのと同じ気持ちを持っていて……それを幸せに感じている」
「どういう意味だ……」
「もう、あなたってばいっつもそう。彼女の苦労が目に見えるわ……」
やれやれと言いたげに苦笑するルニル。その姿もどんどんと薄れていった。
「しっかりとつかんで、離さないでね……彼女のこと」
 
「これだけは言える。レグ、お前は生き残るべくして生き残ったんだ。そしてこの不思議な世界に
来た意味も……あるはずだ、絶対に」
最後の一人、ナオキも次第にその姿を薄れさせていく。
「お前より優秀だったオレが言うんだ、間違いないって」
「そうか……そうかもしれんな」
茶化すように言い切るナオキに、レグニスは小さな笑みを向けた。
「そう、そうやって自然に笑え。彼女だって、それを望んでるはずだぜ」
ナオキはにやっとした笑い顔でそれに答える。それはレグニスが長年慣れ親しんだ、そしてもう永
遠に見ることができないと思っていた、表情だった。
「オレは信じてるぜ。お前なら行ける、どこまでも。だってお前はオレの『親友』だからな……」
見慣れた笑顔とともに、ナオキの存在が掻き消えるように消滅していった。
 
 
レグニスはまた一人になった。
いや、違う。そこはすでに血臭漂う死の荒野ではなく、涼やかな風の吹き抜ける平原。
そしてレグニスももう一人ではない。月光の中、レグニスはゆっくりと振り返った。
この世界で得た、『絆』へと……
 
 
翌日
 
「待てというに、全く……」
先を歩くレグニスの元へとブラーマが走り寄ってくる。
「別れは済ませたか?」
「ああ。忍殿はあいにくと寝込んでいたようだったがな」
うなずくと、ブラーマはレグニスの横にならんだ。
「だぁ〜う〜」
コニーの無邪気な声を聞きながら二人は静かに街道を進んでいく
その時ふと、ブラーマがたずねた。
「レグ、その……戻るのが遅かったが、夢は見なかったか?」
「そうだな……これまでそんなことは皆無だったが……」
つぶやき、レグニスはブラーマをじっと見つめた。
「な、な、なんだ」
 
「くだらない、忘れた」
「おい、なんだ今の間は、答えろレグ」
「うきゃきゃ?」
ブラーマの慌てたような声とコニーの笑い声。平和なを示すような心地よい響き。
それらを受け止めつつ、不意にレグニスは立ち止まった。
そして腰に下げた二本のナイフをゆっくりと、少しだけ引き抜く。
暖かな日差しを受けて、鋼色の刀身がかすかな光を放った。
その根元……それぞれのナイフの鍔元あたりに刻まれた、二つの名前。
『ルニル』 『ナオキ』
現世から持ち込んだ愛用のナイフ。特殊合金を特殊製法で鍛え上げた一品であり、今は亡き二人の
友から贈られた品でもあった。
刻まれた二つの名前を眺め、レグニスは昨夜のように小さく笑みを浮かべた。
(そうだな……どこまで行けるかわからんが、できる限り行ってみるとしよう……)
小さな決意とともに、二本のナイフを鞘へと収める。
それからふと、隣にいる『宿縁』の少女へと目をやった。なにやらぽおっとした面持ちでレグニス
のことを眺めている。
「……どうした?」
「…な、なんでもない!」
何気なくたずねるレグニス。その声にブラーマは我に返ったように真っ赤な顔で首を振った。
 
(お前がこの不思議な世界に来た意味も……あるはずだ、絶対に)
昨夜の言葉が不意に脳裏に甦る。
この世界に召喚された本当の意味。そんなものが本当に存在するのかわからないが、少なくともこ
の『絆』を得れただけでも、ここに来た意味はあったような気がする。
 
傍らをともに歩く少女を見ながら、レグニスは漠然とそう思った。
 
 
刃のこころ  終わり
 
 
後書き
趣味です、どうにもならないくらい趣味に走った作品です。
新見さん、変な話をつないでごめんなさい。
レグの死んだ仲間についてはだいぶ前から構想はあったんですが、これまで発表する機会がありま
せんでした。というよりも、ルリルラに全然関係ないし。
まあレグも色々抱えてるということで一つ。かといってそんなに見方を変える必要もありません。
普段のレグは皆さんが思ってる通りの鈍感&無愛想男ですから。
 
あとシリアスを書いてみて一つ……やっぱ新見さんや天凪さんにはかないませんな。
 
 
以上です
長い話で大変でしょうが、これからもがんばってください。

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