ルリルラ小説第一話「ここではない何処かへ」 その場所は・・・ 「ここではない何処かへ」・・・それが僕の願いだった 学校の授業、うるさい先生、気の合う仲間、いつもニコニコしている両親 変わらない事に不満はなかった・・・と思う 何の変哲もない毎日をただ生きているだけの自分に腹が立つわけでもなかった 別にこれといった理由もなく僕は行ってみたかった―― ――そう、「ここではない何処かへ」 黒く深い森の中だった、「インゼクテン・バルト」通称「蟲ヶ森」がその森の名である 木々が光を遮り、静寂と闇のみが存在する森の中に彼はいた 「う、う〜ん・・・ここは・・・?」 そこに居たのは気弱そうな少年だった 男には勿体無いような細い黒髪の下、まだ幼さの残る顔に悪戯っぽい瞳をたたえている 自分の状況を確認しようと辺りを見回した少年は我が目を疑った 「えっ・・・僕、道を歩いてたら急に目まいがして、それから・・・」 自分の記憶と現在の状況に差異に困惑しているらしい 当然だ、“いつもの道”を“いつものよう”に歩いたはずなのに、辿り着いた場所は自分の知る“いつもの場所”ではなかったのだから しばらく落ち着かない様子で首を回していたが、しばらくしてとりあえず落ち着こうとしたのだろう深呼吸を試みた―――その時 大地が轟いた 「地震?早く逃げないと・・・・!!」 その場から駆け出そうとした。しかし、振り返った少年は目を見開いたまま立ち止まり動かなかった・・・いや、動けなかったのだ 岩の如き胴体に六本の足、唾液の滴る巨大なアゴと体に浮き出た奇妙な文字・・・ 形は蜘蛛に似ているが大きさからいってまず異なる生物だろう、その風貌の禍々しさは、少年に畏怖を与えるのには充分すぎるものだった 「ひっ、ひぃぃぃ」 少年は喉から声を絞り出すと、硬直した身体に鞭打って一目散に駆け出した 奇怪な蜘蛛は木々を折り倒しながら追ってくる 折り倒された木々が少年の行く手を塞ぎってゆく 少年は木々を避けながら全力をもって駆けるが、蜘蛛との間は段々と縮まっていく 蜘蛛との距離を確認しようと後ろを振り返ろうとしたその瞬間、少年は地面に剥き出しになっていた木の根に足をとられ転倒してしまった すぐに起き上がって再び駆け出そうとするも、時既に遅く蜘蛛の触手に足を捕られている 「もう、ダメだ・・・。」 諦めを呟いた少年は、蜘蛛の咆哮を耳障りに思いながら、ゆっくりと目を閉じた 永遠に繰り返される出会いと別れ 旅先で出会った友、家族、そして最愛の人 出会いは別れを紡ぎ、別れは新たな出会いを紡ぐ ここに紡がれし新たな出会いもまた、別れへの前奏曲なのであろうか 「やれやれ、私も老いたもんだねぇ・・・蟲ヶ森くんだりまで来ただけだってのに、もう足が文句言ってるよ」 森にいたのは、老婆だった 何処か冷ややかな雰囲気を身にまとい、人形のように整った目鼻立ちには冷淡さが張り付けてあるようだ 闇に映える美しい白髪は、黒曜石のような瞳と合わさってこの老婆の不思議な魅力を創りだしている 歳の頃は分からないが、額に刻まれた皺を見る限りでは相当な高齢であることがうかがえる 「さすがに、山2つ越えるのに齢122ではキツイもんかねぇ・・・」 俄かには信じられぬ台詞をさらりと言いのけた老婆は、木の根に腰を降ろした後さらに言葉を紡いだ 「まあ、いいさ。どうせ今日を限りの命だからね・・・私もやっとアイツの所に逝けるんだねぇ・・・長かったよ・・・」 目を閉じた老婆の表情にはどこか優しさが浮かんでいた その面長な顔には長年の疲れが滲み出ているような感があった しばらくして 「ん?誰か先客がいるのかい・・・」 老婆は閉じていた目を開き、何かを感じた方角に目を向けた 全てを見通すような黒瞳をみはり、ふと眉をひそめた 「少し、違うようだね・・・、やっと楽になれると思ったのに、まだもう一仕事ありそうだ」 面倒気な呟きとは裏腹に、素早く立ち上がると老婆は脱兎の如く駆け出していた 少年は身を強張らせ、次の瞬間に来るであろう衝撃を待っていた 頭の中で浮かんでは消えてゆく先生や友達や両親の顔 死は確実に少年のすぐそばまで忍び寄っていた そして、轟音 しかし、その衝撃は少年に対して加えられたものではなかった 「あんた、大丈夫かい?」 少年に対してかけられた声は氷の冷たさを感じさせた 少年は恐る恐る目を開いた そこには、あの禍々しい蜘蛛の姿はなく、冷淡な表情の老婆が立っていた 「あ、あの・・・お婆さん、く、蜘蛛は何処にいったんですか・・・」 少年は身を硬くしたまま尋ねた 「蜘蛛?・・・ああ、蟲かい。追っ払ったさ」 老婆は何事もなかったような顔で言葉を次いだ その黒瞳には鋼の硬度が込められている 「あんた、見たところ男のようだねぇ・・・ってことは英雄様かい?」 「英雄?」 少年はオウム返しにそう訊いた 「分からないって顔だね・・・ってことは新しい召喚者かい・・・まあ、いいよ。坊主、私についてきな、森から出してやるよ」 老婆はそう言うと身を翻した 言葉の棘々しさは相変わらずだが、厳しい視線は感じられなかった 老婆が森の出口に向かい歩き出そうとしたその時 「水澄祐矢」 「何だって?」 唐突に発せられた言葉の意味がわからずに、老婆の顔は怪訝を奏した 「水澄祐矢、それが僕の名前です」 ようやく合点がいったらしい 唇の端を少しだけ緩めた老婆は、少し黙ってから改めて口を開いた 「私はリンツェルモット・シェイバン、リン婆とでも呼びな」 そう名のると老婆は足早に歩き出した |