ルリルラ小説第二話「旅立った者の望み」
 
 
旅立った人は何を望むのだろう?
旅路の安寧?
旅の道を共にする仲間?
残された人たちの幸福?
今となっては誰にも分からない・・・
ここに残された僕たちに出来るのは――
――今を精一杯生きるということ


老婆の後について歩いていくと、数分で森の出口に辿り着いた
森の中では暗くて分からなかったが、どうやらまだ日の出の前だったらしい
太陽は遥か遠くの山の稜線を鮮やかに映し出している
少年、水澄祐矢は朝の清々しい空気をいっぱいに吸い込んだ
目の前には見渡す限り草原の海が広がっていた
草原の風が細く綺麗な黒髪を優しく撫でる
汚れの無い黒瞳は山の向こうの太陽を映していた
圧倒的だが、どこか安心させてくれる・・・そんな草原の風景に少年は惹き込まれていった
「ここから東に行けば大きな町が有る。そこまで行けば・・・後はどうにでもなるよ」
そう言った老婆の声は氷の冷ややかさを纏っていた
面倒気に言葉を発したその主は、そのまま身を翻し森の方へ歩き始めた
老婆の行動が一瞬理解出来ずにいた少年の声帯は、声を発するのに幾分かの時間を要した
「あ、あの・・・お婆さん、森に戻るんですか・・・?」
震える声から、少年がまだ老婆に対する不信感を拭えていないことが判る
確かに、暗い森の中で突然現れた魔女のような風貌の老婆をすぐに信用出来るかというと、それは疑問ではあるのだが・・・
ともあれ、魔女、もとい老婆は蛇に睨まれた小動物のように脅える少年に言葉を返した
「ああ、私はもう疲れたからねぇ・・・ゆっくりと休ませてもらうのさ」
老婆の顔は相変わらず冷淡だったが、面倒気な響きは無く、声音は優しかった
「私はもう長く生き過ぎた・・・そろそろ時間なのさ・・・」
老婆の言葉の意味を解せずに、少年の思考回路は一瞬凍結した・・・が、再起動するのにさしたる時間は要らなかった
少年の思考はすぐに一つの結論を導き出した
「時間って・・・まさか・・・そんなのダメです。自分から死ぬだなんて・・・」
慌てて静止しようと試みるあたり、少年は素性も知らぬ怪しい魔女に対しても、哀れみの情を持ち合わせているらしい
その目には薄ら涙さえ浮かんでいた
「おやおや・・・、一応にでも男の子が泣くもんじゃないよ・・・」
冷淡だった表情は消え、少し困惑したような表情が老婆の顔に浮かぶ
人形細工のような整った顔に少し陰りを映し、更なる言葉を次いだ
「優しいんだねぇ、坊主・・・でも、私を黙って逝かせておくれ、先に待ってる人がいるんだよ・・・何時までも一人待たせておくわけにはいかないんだよ」
老婆は皺を畳んだその顔に慈母の如き優しい表情を浮かべた
一言一言、聞き分けのない子供に言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ
頬に水滴を光らせながら袖を掴んで離そうとしない少年の頭の上に、老婆の節くれだった手が乗せられる
「・・・でも、」
「何だい?」
言葉を紡ぎかけて声を詰まらせた少年に、老婆は優しく相槌を促した
「でも、その人は・・・、その人はリン婆さんにまだ来て欲しくないって思っているはずです・・・」
驚きだろうか?老婆の表情が一瞬固められた・・・しかし、瞬きをする間に再び優しい表情が取り戻されている
嗚咽を堪える少年に、老婆は優しく問いかけた
「どうしてそう思うんだい?」
少年は頬をつたう涙を拭わずに応えた
「旅立った人は、自分の大切な人が幸せになる事を望むものだから・・・」
「!!」
老婆は胸の奥に湧き上がってきた熱い感情を必死に押さえた
自分はもう楽になる事を許されていると思っていた
友人も家族も、愛する人までも失ってしまった
そんな自分が逝っても誰も悲むことはない、そう思い込んでいた
しかし、それは間違っていた
心のどこかでは気付いていたかもしれない、アイツは自分の死などを望まないということに
悲しみと脱力感に耐え切れずに死へ逃げようとしていたことに
自分はまだ死ねない、死ぬわけにはいかなくなったのだ
なぜなら―――自分の死がこの少年の悲しみを紡いでしまうことに気付いたから
「リン婆さん・・・?」
少年は自分の頬に落ちてくる水滴が、自分のものでないことに気が付いた
「祐矢・・・ありがとう」
それ以上は声にならなかった
二人は太陽が昇りゆくまで水滴の発生源となっていた

戻る